徹子の部屋で聞いた被爆や戦争の体験 若い人へ伝えるチャンスだから

有料記事被爆国から

聞き手・花房吾早子
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 核兵器禁止条約の第2回締約国会議が27日、米ニューヨークの国連本部で始まりました。核なき世界や平和についての思いを、黒柳徹子さんに聞きました。

     ◇

 1981年8月6日夜。私が司会をしていた音楽番組ザ・ベストテン」は、広島から生中継をしました。

 原爆ドームを背景にしたビルの屋上で、岩崎宏美さんが「すみれ色の涙」を歌いました。

 毎週木曜午後9時の放送が、この年は広島に原爆が落とされた日と重なりました。番組のディレクターから広島からの中継の提案を受け、私は「それはやんなきゃ。若い人が見てるんだからやんなきゃダメでしょ」と思いました。だってチャンスじゃないですか。

 私たちがいる東京のスタジオと結び、原爆で焼け野原となった広島の写真も映しました。戦争を知らない若い人たちに、原爆の恐ろしさを知ってもらいたかった。

 私はテレビの前の皆さんに伝えました。

 《一瞬にして二十数万人の命…

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この記事を書いた人
花房吾早子
大阪社会部|平和・人権担当
専門・関心分野
原爆、核廃絶、ジェンダー、LGBTQ+
核といのちを考える

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被爆者はいま、核兵器と人類の関係は。インタビューやコラムで問い直します。[もっと見る]