第3回心理職はやめてしまおう…1995年、信田さよ子は思いとどまった
《1984年、38歳の時、断酒会で人生初の講演をした》
女性のアルコール依存症について、パリで見聞きしたことを交えて話しました。私は前座で、メインの講演者は精神科医の斎藤学(さとる)さん。女性のアルコール依存症を先駆的に研究し、東京都精神医学総合研究所に勤務する傍ら、アディクション(嗜癖〈しへき〉・はまること)を対象とする東京の原宿相談室でスーパーバイザーを務めていました。
カウンセラー・信田さよ子さんが半生を振り返る連載「心理職を拓(ひら)く」。全4回の3回目です。(2023年11月に「語る 人生の贈りもの」として掲載した記事を再構成して配信しました)
ある時、斎藤さんから相談室で働いてくれないかと誘われました。医学部受験の真っ最中だったので迷いましたが、彼の著書を読んで腹が決まった。
その本には、依存症の治療では精神科医は無力であり、家族と本人、専門家それぞれに限界があると明晰(めいせき)に書かれていた。私がそれまで感じていたことが言葉にされていると思い、医学部予備校に納めた80万円は捨て、相談室で働こうと決心しました。
《ソーシャルワーカーと一緒に働いた》
室長と10人のスタッフの半数はソーシャルワーカーで、心理職とは異なるスキルを学びました。個人カウンセリングのほか、女性アルコール依存症者、依存症者の妻、摂食障害の女性の母たちのグループカウンセリングも担当しました。多くの妻が酔った夫から暴力を受け、摂食障害の女性のなかには父から性虐待を受けている人も少なくなかった。当時は酒をやめれば暴力も止まると思われていたけど、そうでない夫も多かった。日本では子どもから親への暴力だけが「家庭内暴力」と呼ばれ、虐待やドメスティックバイオレンス(DV)という言葉はまだ使われていませんでした。
医療機関では出会えない人や最先端の現実に触れ、貴重な経験を積み重ねることができました。医者への道を諦めてよかったのだろうかと思う時もありましたが、「後悔だけはしない」をモットーにしました。何より当事者との出会いが私を支えていました。
専門家って何だろう 悩み考えた
《専門家にしかできないことは何かと、悩み、考えた》
1980年代には、さまざま…