智弁和歌山の元主将、次の舞台は故郷農園 輸入車営業からの転身
高校野球の強豪、智弁和歌山で主将を務め、甲子園でも活躍した。しかし、野球は高校で区切りをつけ、大学卒業後は、輸入車の営業をした。
昨春、家族と一緒に、ふるさとの和歌山県かつらぎ町に戻り、農業に汗を流している。
山あいの果樹園。夏はブドウ狩りの客でにぎわい、秋は柿が実る。
農家となった中村恒星さん(30)は「四季を通じて収穫体験ができるような農園にしていきたい」と夢を語る。
小学生の頃は実家の農作業を手伝うこともあったが、中学以降は野球漬けの日々。将来はプロ野球選手という夢を描き、智弁和歌山に入学した。
高校では、2学年上に岡田俊哉選手(現中日)、1学年上に西川遥輝選手(現ヤクルト)がいた。同級生の中にも1年夏からベンチ入りする選手がいた。自分が一番うまいと自信を持っていたが、「井の中のかわずだった」と感じたという。
2年の春夏、3年の春夏と甲子園のメンバーに入った。ぐいぐい引っ張るタイプではないと自覚していたので、2年の夏、新チームになって高嶋仁監督(当時)に主将指名を受けたときは、「全くノーマーク。『僕ですか』と、驚いた」。
周囲の話によると、視野の広さを買われた、という。全体に目を配り、チームを盛り上げた。
甲子園で一番印象的な場面は、2011年、3年生だった夏の白樺学園(北北海道)戦という。
中盤まで智弁和歌山のペースだったが、終盤に勝ち越され、相手に流れが行きかけた。そこで、途中出場の恒星さんが同点に追いつく適時二塁打を放った。「よく甲子園には魔物がいると言いますよね。球場全体の空気が変わるのを感じました」
延長までもつれたこの試合を制し、その次の日大三(西東京)には敗れたが、この試合でも恒星さんは適時打を放った。
高校野球を終えた時、プロを目指す気持ちはなくなっており、東京の大学に進学後も野球は続けなかった。
背中を押してくれた妻のひとこと
車が好きだったこともあり…