第1回今も故郷に流れるフジファブリック 志村君が残した音楽は生き続ける
「東京の空の星は 見えないと聞かされていたけど 見えないこともないんだな」
ロックバンド「フジファブリック」の代表曲「茜(あかね)色の夕日」には、こんな詞がある。ボーカルの志村正彦さんが、東京・高円寺に暮らし始めた18歳の時に作った曲だ。
進学のために筆者も同じ年齢で地方から上京した。この曲、この一節を聴くと、東京で見上げた夜空と、当時の不安と期待、いろんな感情がよみがえってくる。
志村さんは書籍「東京、音楽、ロックンロール」(ロッキング・オン)に収められた日記に、2008年の地元でのライブ翌日、「なりたいアーティストへの照準が定まった」と新たな決意をつづっていた。もし今もこの世にいたら、どこで、どんな音楽を残しただろう。どんな姿で歌っているのだろう。そう思わずにはいられなかった。
地元・富士吉田での伝説のライブ
2008年5月、「凱旋(がいせん)ライブ」が開かれようとしていた。
山梨県富士吉田市出身の志村正彦さんが18歳で上京してから9年。ロックバンド「フジファブリック」のボーカル兼ギターとして、初めて地元で開催するライブだった。
会場は同市の富士五湖文化センター。チケットはソールドアウト。全国からファンが集まった。
幕開け前、唐突に合唱曲「大地讃頌(さんしょう)」が会場に流れた。「うわっ」。会場にいた小中学校の同級生、渡辺雅人さん(43)は驚いた。
「わかる人にはわかる」演出だ。出身の下吉田中学校では合唱が盛んで、当時は3年生になると大地讃頌を歌うのが伝統だった。会場に流れたのは志村さんたちの学年が歌った、あのときの音源だった。
ライブで志村さんは故郷への思いを語った。15歳の頃から、ここでライブを開くことを夢見ていた。
県内最初のライブをこの会場…
【初トクキャンペーン】有料記事読み放題!スタンダードコースが今なら2カ月間月額100円!詳しくはこちら