終わりの見えないウクライナ侵攻やイスラム組織ハマスとイスラエルの衝突など、2023年はつらいニュースが続いた。そんな中でも世界には、大きな決断をし、新しい生き方に踏み切った人たちがいる。テレビ局のアナウンサーを経て、23年7月末まで1年半、ウクライナの国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)で「報告担当官」として働き、現在はユネスコ(国連教育科学文化機関)で活躍する青山愛(めぐみ)さん(35)に、人生の「スイッチ」について聞いた。
――テレビ朝日の報道番組で、気象情報やスポーツを伝えていた姿を記憶している人も多いと思います。国連職員への転身にはどんな思いがあったのですか。
中学生の頃から国連で働く憧れを漠然と抱いていました。テレビ局を退社するとき、周囲の人には、いきなり大きな決断をしたように見えたかもしれませんが、一つのきっかけで突然決めたのではなく、アナウンサーとして充実した生活を送る中でも、川の小石が少しずつ水に押されて転がっていくように、国連でいろいろな国の人と一緒に国際公益のために働く夢への思いが募っていきました。
もともとアナウンサーを志望したのは、大学時代に参加したマレーシアのスタディーツアーがきっかけです。中東の衛星テレビ局アルジャジーラの事務所を訪れる機会があり、「声なき声に光を」というモットーを知りました。その時、テレビ局なら、スポットライトの当たらない人たちに光をあてることができるんだと思いました。
私のキャリアは天気予報のコーナーから始まりましたが、取材でほぼすべての都道府県を回りました。東日本大震災の被災地で懸命に前を向く方や、風評被害に苦しむ農家の方の思いを報じた時は、本当にやりがいを感じました。
一方で、テレビの報道番組はニュースのサイクルが速く、光を当てたいことを追い続けるのが難しいという思いもありました。一つのテーマに焦点を当てて変化を起こせる仕事に移りたいと感じていました。
国連職員として難民支援にあたる青山さん。その原点には、マイノリティーとして苦悩した10代の経験がありました。記事後半で紹介します。
28歳で退社、決めていたのは一つだけ
――テレビ局を辞める時にはUNHCRを目指すと決めていたのですか。
米国の大学院に行く以外は何…
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