香港で民主活動を続け、香港国家安全維持法(国安法)にも問われた周庭(アグネス・チョウ)さん(27)が12月3日、留学中のカナダから香港に「おそらく一生、戻ることはない」とインスタグラムで表明しました。差し迫る「期限」を前に、悩んでぎりぎりに出した決断だったそうです。香港警察は「帰国して出頭しなければ指名手配」との方針を明らかにしましたが、その危険も覚悟で、それでも決めた思いはどんなものか。かかわりが深い日本の人たちに、今こそ伝えたいメッセージは――。オンラインで、じっくり聞きました。
――そもそも、カナダ留学がよく実現したと思いました。
正直、私もそう思いました。最初は、行けるなんて想像できなかった。
今年に入って申請を出した後に尋問を受け、民主活動をもうしないというざんげ書や、警察への感謝の手紙を書かされました。7月には、中国・深圳に行きなさいと言われました。
――それがカナダ留学の条件だったわけですね。
口外禁止の深圳行き 「戻れない可能性想像し怖かった」
それで、私は聞いたんです。深圳に行くことについて「弁護士に言ってもいいですか」と。弁護士とコミュニケーションを取るのは市民の権利だと思いますが、警察は「弁護士にも、誰にも言わないでください」と。だから、深圳に行くことは誰にも言っていませんでした。もし口外して警察が知ったら、カナダに行けなくなっちゃうんじゃないかと怖かったからです。
中国本土の法制度は香港と全く違いますから、香港に戻れない可能性もいろいろ想像して怖かったです。私が中国本土に行くことを誰も知らなかったから、何かあっても誰も助けに来られない。本当にもう恐怖だらけでした。
――深圳にはどんなふうに行き、どんな状況だったのですか?
8月に日帰りでした。朝、香港の警察署で集合して、車で連れて行かれました。共産党の功績を展示する改革開放展覧館やテンセント(中国のIT大手)の本社に行ったりしました。他にもいろいろありましたが、政治的だと感じたのはこの二つですね。
――香港に戻らない、とカナダに行く頃から決めていたのでしょうか。
いえ、全く考えていませんでした。
留学を申請したのは単純に海外に行きたいという気持ちからでした。そもそも、香港を離れられるかどうかも、最後の最後までわからなかった。パスポートが没収されたままで、返されたのは9月中旬、カナダのトロントに行く前日でしたから。
カナダにしたのは政治的な理由ではなく、単純に自分が何を学びたいかで、大学院の修士課程を選びました。香港人にとって留学先といえば多くが、米国や英国、豪州、カナダといった民主主義の国です。
カナダへは日本経由で行こうと思ったのですが、それはダメだと言われたので、直行便で行きました。
――トロントに着いた時の心境は。
この3年間、心の病もありました。20年8月に国安法容疑で逮捕され、未許可デモの組織などの罪での刑期は21年6月に終えて釈放されましたが、3カ月に1回出頭しなきゃいけない状況が続きました。「香港衆志(デモシスト)」(若者中心の民主派の政治団体)の以前から一緒に活動してきた友だちとも連絡していませんでした。
カナダに着いたら緊張 「12月28日のプレッシャー」
海外へは、2019年9月のドイツとオーストリア以来行っていませんでした。だから、いつか自由になって海外に行けたら、飛行機に乗ったら絶対楽しいだろう、ほっとするだろう、とよく想像していました。
でも、カナダに着いて想像した瞬間が実際に訪れても、そんな気持ちに全くならず、私もびっくりしました。
逆に、緊張するような気持ちになりました。
3カ月に1回出頭の条件はカナダに行っても同じで、大学が休みに入ったら12月28日、出頭するため香港に帰らなくてはならなくて。そのことが頭にあり、プレッシャーを感じていました。
――「香港に戻らない」と決意したのは。
危険だと思ったんです。
12月28日に香港に帰った…