「すごい数の患者が来ています、病院はパニック状態です!」
能登半島地震が起きた1日夕。市立輪島病院(石川県輪島市)の品川誠院長(65)は、職員からの報告を約40キロ離れた志賀町の高台にある小学校で聞き、携帯を握りしめた。
正月で帰省していた町内の自宅が震度7の揺れに襲われ、大津波警報が出たため避難し、動けずにいた。
「医療機器が壊れ、手術もできません」
「すまない。今そこにいるメンバーで、何とか持ちこたえてくれ」
2日朝、土砂崩れで寸断された国道を迂回(うかい)しながら、本来1時間余りの道のりを4時間かけて運転し、病院にたどり着いた。
地震で壊れた蛍光灯が垂れ下がったエントランスは、詰めかけたけが人であふれていた。医師らが聴診器を手に、治療の優先度を決めるトリアージをしていた。
救命の見込みがない黒タグを付けられた数人が目に入った。
院長兼外科長として治療に加わった。気胸、腹腔(ふくくう)内出血、大腿(だいたい)骨骨折など重症の患者が多かった。
夕方、重症を意味する赤タグが付いた90代女性を担当した。家屋の下敷きになって24時間後に救出されたが、両脚が壊死(えし)し、クラッシュ症候群によるショック症状を引き起こしていた。
医療機器が地震で壊れ、ここで両脚切断の手術はできない。金沢市の病院まで運びたくても、夕方でヘリは飛ばせない。車だと8時間かかる。そして、運ぶ順番は救命できる可能性の高い人を優先せざるを得ない。
女性の家族に相談すると、家…