東京・英国大使館跡から弥生・江戸時代の遺跡、謎は出土品ない空白期

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森下香枝
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 明治時代、皇居から目と鼻の先にある江戸屋敷跡にできた東京都千代田区一番町の英国大使館。そのはるか前には縄文、弥生時代の集落があったことが発掘調査で明らかとなり、9~10日、一般に公開された。都心ど真ん中の超一等地の歴史ロマンへの関心は高く、定員を上回る応募者の中から抽選で当たった約470人が見学に訪れた。

 桜の名所として知られる千鳥ケ淵公園に隣接する同大使館は1873(明治6)年、明治政府が貸し付けた約3万5千平方メートルの国有地に建てられた。このうち南側約7千平方メートルは2015年、日本政府に返還されて公園に。発掘現場は、英国側に所有権が移った公園北隣の敷地約7700平方メートルで、英国による払い下げで落札した三菱地所レジデンスがマンション建設を計画している。

 出土したのは、江戸時代武家屋敷で使った多数の上水や井戸跡、道の跡とみられる版築(ばんちく)、麴(こうじ)の生産に使われる麴室(こうじむろ)や地下室など。古地図によると、発掘現場の北側は大和新庄藩永井家、南側は陸奥七戸藩南部家が幕末まで屋敷を構えていたという。

弥生時代から江戸時代までの空白の謎とは?

大名屋敷の下から弥生、縄文時代の竪穴建物跡が多数、発掘されましたが、最大の謎は長い長い空白です。専門家が解説します。

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この記事を書いた人
森下香枝
編集委員|中高年問題・終活担当
専門・関心分野
終活、中高年のセカンドライフ、事件など