京都・千本釈迦堂の六観音菩薩像、国宝に指定へ 文化審議会が答申

日比野容子
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 千本釈迦堂の通称で知られる大報恩寺(京都市上京区)に伝わる「木造六観音菩薩(ぼさつ)像」と「木造地蔵菩薩立像」が国宝に指定される見通しになった。国の文化審議会が15日、文部科学相に答申した。清水寺本堂にかつて掲げられていた巨大絵馬「板絵金地著色繫馬図(いたえきんじちゃくしょくつなぎうまず)」など4件も重要文化財に新たに指定される。

 木造六観音菩薩像は、十一面、聖、如意輪、准胝(じゅんてい)、馬頭、千手の6体の観音像から成る。像高は、唯一の坐像(ざぞう)である如意輪観音で95・5センチ。最も高い十一面観音は181・8センチある。

 六観音は、生前の行いによって死後に輪廻転生(りんねてんせい)する「地獄」「餓鬼(がき)」「畜生(ちくしょう)」など六つの迷いの世界「六道」から人間を救うとされる。平安~鎌倉時代に盛んに彫られたが、6体すべてが残る例はほかにはなく、希少性が高いと評価された。着色せずにカヤの木の質感を生かす「素地(きじ)仕上げ」で、光背(こうはい)・台座の保存状態も極めて良好だ。

 准胝観音の背面内部に、運慶・快慶の次世代の仏師・肥後定慶(じょうけい)の名と、制作年代とみられる「貞応三」(1224年)の文字が墨書されており、肥後定慶をリーダーとする仏師集団の手で制作されたと考えられる。同じく国宝になる木造地蔵菩薩立像も六観音と作風が共通している。

 京都府内の国宝の指定は2020年12月の八坂神社本殿(京都市東山区)以来で、合わせて238件となる。

 重要文化財となる板絵金地著色繫馬図は京狩野派の2代目、狩野山雪の作。縦約2・5メートル、横約3・6メートルの画面いっぱいに、黒の駿馬(しゅんめ)を描いた。1637(寛永14)年に清水寺に奉納され、1984(昭和59)年まで本堂に掲げられていたという。

 細緻(さいち)な描写が高く評価されたのが、金蓮寺(京都市北区)所有の「紙本著色遊行上人絵伝(しほんちゃくしょくゆぎょうしょうにんえでん)」だ。一遍上人の後継者、真教上人が長野・善光寺の舞台で日課念仏を行う様子を描いている。

 ほかに、「古今和歌集」の難解な歌や語句の解釈を伝授する古今伝授を契機として、和歌の名手・菅原道真を祭神とする北野天満宮(京都市上京区)に天皇や上皇らが奉納した「北野天満宮聖廟(せいびょう)法楽(ほうらく)和歌」、知恩院(京都市東山区)所有の「絹本著色(けんぽんちゃくしょく)五百羅漢図」も重文になる。

     ◇

 「1224年に制作されてからちょうど800年の節目の年に、国宝の指定をいただくことになった。不思議なご縁を感じます」

 国宝に指定されることになった准胝観音など六観音菩薩像を所有する千本釈迦堂の菊入諒如住職は、こう喜びを語った。

 地獄からの救済を願い、六観音は平安から鎌倉時代にかけて多数彫られた。「普通は腕が折れたり、光背が失われたり、焼け落ちたり。ほぼ無傷で、6体すべてが残っていること自体、奇跡と言っていい」と京都府教委文化財保護課の担当者は語る。菊入住職も「あまりに保存状態がよいので、見た目ほど制作年代は古くないと思われていたことがあったほどです」。

 胎内経の記述から、六観音を造らせたのは「平家物語」の悲恋で知られる滝口入道のめい、藤原以久(もちひさ)の女(むすめ)だという。千本釈迦堂に六観音がやって来たのは、制作から実に446年後の1670年、江戸時代のことだ。足利義満(1358~1408)創建の北野経王堂から移されたとの記録が残るだけで、どこの寺に奉納されたのかなど、来歴は謎に包まれている。

 応仁の乱をはじめとする幾多の戦乱を乗り越え、800年の時を経て国宝に。菊入住職は「多くの方に手を合わせていただき、心のよりどころとしていただけたら」と願う。

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この記事を書いた人
日比野容子
京都総局
専門・関心分野
オーバーツーリズム、歴史文化、医療・介護、クラシック音楽、スキー、料理、欧州事情など