公立中学校で回収したアンケート形式の調査票の内容をざっとチェックしていたら、あたりがしんと静かになった。「神に祈りましょう」という先生の声だけが校庭の方から聞こえてくる。開けっ放しの窓に目を向けると、陽(ひ)の光のなかで生徒たちが手を合わせている様子が見えた。
へえ、キリスト教徒もムスリムも、伝統宗教を信じている人も、こうやって一緒にお祈りするのね。私は手提げかばんからスマホを取り出して、パシャリと風景を切り取った。
「世話好きの国」でのフィールドワーク
2018年から19年にかけて、私は西アフリカのガーナにいた。約10カ月のガーナ生活において、静かだった瞬間というのはまれである。私の記憶の中にあるガーナ(主に南部)の生活風景は、視覚的にも聴覚的にも精神的にも非常に刺激的だ。
道行く車はクラクションで会話し、乗り合いバスの車掌は行き先を叫ぶ。教会からはマイクで拡声された牧師の説教とドラムの音、人々の歌声があふれ、家やレストランのテレビから流れる現地語のドラマは決まって音が割れていた(抑揚と情感たっぷりにセリフを叫びまくるので、スピーカーの性能が追いつかないのだろう)。
そして、私は片時も放っておいてもらえなかった。
道を歩けば「オブロニ!(「白人」「ガイジン」のようなニュアンスの言葉)」、もしくは「アコシヤ(私の現地名)! 来て!」と特に用事もなく呼ばれ、汗を流していればふいに指で顔をぬぐわれる。初対面の人にはたいてい「君はキリスト教徒なのか」と尋ねられるので(ガーナではイスラームも一般的だが、私の服装からムスリムではないことは想像がつく)、素直に「違う」と言うと、人々は私を教会へ連れて行くと約束したり、聖書を音読させたり、私が「地獄に落ちないように」と手を尽くした。日常的にこんな感じなので、ある時道端で「ひとりになりたいよぉ」と泣いていたら、タクシーが「どうしたんだ! なにがあったんだ!!」と言いながら複数台集まってきてしまい、無理だろうなと悟った。
私のフィールドはこんな感じのところだ。私は大学3年生の頃、約10カ月にわたってガーナに留学し、フィールドワークを行っていた。帰国後、社会人になってからも、日本のガーナ人コミュニティーに領域を拡大しつつフィールドワークは続き、私はこれからも年に1回くらいはガーナに帰りたいなともくろんでいる。
なぜ、私はガーナでのフィールドワークにこだわるのか。
それは、約7年前に私の人生に舞い降りた、ケアをめぐる問いと関係している。
私がはじめてガーナを訪れたのは2017年2月、アフリカ研究サークルの現地研修に2週間参加した時のことだ。まるで街路樹から「実った」ようにぶらさがるコウモリ、商品を頭の上に載せ車の間を縫うように歩く行商たち……。これまで見たことのない風景を、大学1年生だった私は非常にぼんやりと見ていた。
故郷で介護中の祖父のことが心配で、心ここにあらずだったのだ。しかしひとつだけ、そんな状態だったからこそ強く印象に残ったのではないかと思うことがある。
固定観念にひび
ある公立小学校を訪問した時のことだ。先生が幼児を抱きかかえながら教室の椅子に座っていたので「娘さんですか?」ときくと、「いいえ、同僚の子どもよ。近所に住んでいて、遊びに来たの」とのこと。公の場である職場で、自分の子ではない子どもを世話している……?! 家族内でなるべく抱え込もうとする形のケアにしか触れてこなかった私には、目の前の光景がとても新鮮に思えた。
私の大学受験が終わった頃、祖父の介護が始まり、私の母は仕事をやめた。同じく介護をしていた祖母は、介護事業者が家に入ることに抵抗感があるとぼやいていた。私は祖父のかたわらで休日のほとんどを過ごし、でも、家族以外には祖父の話をしなかった。はじめは友達との会話でも触れていたのだが、相手が反応に困る様子を感じ取ったのでやめたのだ。私にとってのケアのイメージはすっかり「閉ざされたもの」となり、そして、世話される人もする人も、社会から置いていかれてしまうのだと感じていた。
しかし、改めて意識して見てみると、ガーナはどこにでも子どもがいる。個人商店はもちろん、国際機関のオフィスにも、首都のショッピングモールの店員さんの背中にも。そして大人たちは、子どもがいることを受容する雰囲気の中で、それぞれ自分の仕事をこなしていた。もちろん、対象が子どもか高齢者かという違いはある。けれど、周囲の人とあたりまえに子育てを共有する現地の人々の様子は、「ケアは私的領域のもの」という私の固定観念に大きくひびを入れた。
ケアの意味を問い直したい、でも…
この時の経験をきっかけに、私は大学3年時の長期留学を決めた。ガーナでケアについてフィールドワークを行うことで、誰かを世話することの個人的・社会的な意味を問い直してみたいと思ったのだ。
しかし、ことはそううまく運ばない。
現地で調査活動を始めてから…
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