戦争ない世界 夢にしないで 大阪市内の各地で終戦の日の催し
79回目となる終戦の日を迎えた15日、戦争のない世の中を願う催しが、大阪市内の各地であった。
午前11時、南海難波駅前のなんば広場で、赤いチラシが配られた。戦時中、兵士を集めるために使われた赤紙(臨時召集令状)に似せたもの。ロシアによるウクライナ侵攻、パレスチナ自治区ガザで続く戦闘などへの反対を呼びかけた。
長く保育の現場で働いてきた大阪市住吉区の芳村慶子さん(61)も参加。「今も世界のどこかで、大勢の子どもが亡くなっていることに危機を感じる」と話す。目の前の子どもの世話で精いっぱいの若い保育士たちにも、戦争の歴史と現状を学んでほしいという。
1954年のビキニ水爆実験で静岡県のマグロ漁船「第五福竜丸」が被曝(ひばく)したのを機に、原水爆禁止などを訴えてきた「大阪母親大会連絡会」が主催した。毎年、開戦の日と終戦の日にチラシの配布やデモを行っている。
大阪の空襲を語り継ぐ「大阪国際平和センター(ピースおおさか)」では午後2時、学校法人相愛学園(中央区)の協力で平和を祈るコンサートが開かれた。
相愛大音楽学部非常勤講師の稲本愛歌さん(33)は、亡くなった祖父を思いながらチェロを演奏した。祖父は広島の被爆者。「戦争はいけん。あれは地獄で」と言っていたという。稲本さんは「その言葉の重みを忘れることはできない。いま皆さんに音楽を安心して聴いていただけることがどれだけ幸せか」と話した。
豊中市から来た近藤豊子さん(91)は、相愛中学・高校の生徒による合唱歌「ふるさと」を聴いて涙を流した。大阪大空襲で亡くした母と祖父を思い浮かべ、「やっぱり寂しいね。泣き虫だからしょうがない」と涙を拭いた。「いまだに戦争がありますもんね。人間って何でしょうね」
午後6時、明治以降の戦争で亡くなった軍人らの墓碑が並ぶ「真田山旧陸軍墓地」(天王寺区)で、戦死者を追悼する「万灯会(まんとうえ)」が始まった。5千基以上ある墓石一つひとつの前に、ボランティアの人びとがロウソクを立て、点灯した。
毎年参加しているという兵庫県尼崎市の髙瀬清宏さん(80)は「一人ひとりの命の大切さを思いながら手を合わせたい」と話した。
大阪府豊中市に住む会社員、小居佳介さん(39)は初めて参加した。そばには、4歳と3歳の我が子。「1番に願うのは、子どもたちが不自由なく、不安を感じず生きていけることです」