戦争の記憶を継承し、追悼するためのモニュメントとは、どのようなものであるべきか。
彫刻家であり、評論家の小田原のどかさんは、「平和を祈念」するなかに潜む軍国主義的な表現を問い、加害と被害の両面を見つめることなど、あまり触れられてこなかった視点から美術を問い直してきました。被爆地となった長崎や広島のモニュメントを通して、その課題と、価値観の変遷を経ながら後世に継承していける形について、語りました。
――長崎市の平和公園に1955年に建てられた平和祈念像は、8月9日にその前で平和祈念式典が開かれるなど、よく知られています。小田原さんは、像がはらむ課題の面から論じてきました。
戦争の記憶を継承、追悼するための像や遺構など、公共空間に彫刻が置かれることの意味が、場所によって全く違う。そう気づいたのは、美術大学で彫刻を学ぶようになってからです。それを決定的に思ったのが、学生時代に長崎市の平和公園に行った時でした。
一つは、「ある記憶」にふたをするように像が置かれていることです。
平和祈念像や数々の平和の像がある一帯は、原爆投下で大きな被害を受けた、長崎刑務所の浦上支所があったところ。職員や官舎に住んでいた家族、受刑者、被告など計134人が亡くなり、被告の中には強制連行された中国人が32人、朝鮮人が13人いました。ですが、支所の遺構の多くは埋め戻され、そこに何があったかは見えづらくなりました。その上に配置されているのが、平和祈念像や各国から贈られた平和の像なのです。
彫刻があることで、原爆による被害でありながら、日本の侵略戦争による加害でもあるという側面の複雑さを覆い隠している。そう感じています。
「平和の表象」これでいいのか
もう一つは、男性である神様のようなそびえ立つ平和祈念像が平和をあらわすことにも違和感がありました。
平和祈念像を制作した彫刻家…
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