「光る君へ」の時代の東大寺紹介 ミュージアムで「雅慶」特集展示
紫式部が平安京で「源氏物語」を書き始めたころ、奈良の東大寺では藤原道長の義理の叔父にあたる雅慶(がけい)(932~1012)が別当(住職)を務めていた。東大寺ミュージアム(奈良市水門町)では、彼の自筆文書から当時の東大寺の実像に迫る特集展示が開かれている。
平安時代の奈良では藤原家の氏神・氏寺である春日大社と興福寺が隆盛を誇ったが、天皇家や藤原氏とのつながりが深い東大寺も栄えていた。宇多天皇の孫である雅慶は、道長の妻・源倫子の叔父。若くして出家し、京都・東寺の別当を経て、999年から7年間、東大寺の別当を務めた。
道長の後押しもあってか、雅慶は別当退任後の1011年、仏教界の最高位である大僧正に就任。だが同年、寄進を受けた土地を巡り、古巣の東大寺との間でトラブルになった。今回の特別展示では、雅慶がその紛争をめぐり、自分の後任である東大寺別当の澄心(ちょうしん)や、造東大寺長官だったおいの源道方らに宛て、自身の主張を述べた書状6通(国宝)を公開している。
雅慶は現在の奈良市古市町周辺にあった今木荘(いまきのしょう)の寄進を個人的に受けたが、その北に広がっていた東大寺領の春日荘(かすがのしょう)と境界を巡って争いになり、1012年には互いに田植えを妨害するなどの実力行使に発展した。雅慶は同年の秋に没したことが藤原道長の日記「御堂関白記」に記されており、紛争の結末は不明だ。
雅慶の手紙からは、各地で土地を巡る争いが頻発し、実力行使の担い手として武士の台頭を招いた時代背景が垣間見える。展示を担当した久永昂央(あきひさ)学芸員は「NHK大河ドラマ『光る君へ』で注目されている時代の、東大寺を巡る生々しいドラマを知ってもらえれば」と話している。
特集展示「藤原道長の叔父 雅慶」は10月17日まで。入館料は中学生以上800円、小学生400円。問い合わせは同ミュージアム(0742・20・5511)へ。
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