ガーデニングが社会運動? 声を上げるのとは違う「静かさ」の意義

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社会学者・富永京子=寄稿
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Re:Ron連載「あちらこちらに社会運動」第7回【おもし論文編】

 私たちはデモや政策提言だけでなく、衣食住などの日常を通じても社会運動を行っている。こうした社会運動に対する見方は1970年代以降に強まったと言われているが、近年の日本社会にもずいぶん浸透しているように思う。

 例えば、公共トイレに生理用ナプキンを置く、子ども食堂にお金や食材を寄付するなどの行為は、もはや「社会運動」と感じない人も多いだろう。しかし、だからといって「生活の全てが社会運動なのだ」と何の前置きもなしに言い切ってしまうことには、研究者として強い抵抗がある。

 衣食住、あるいはこれまでこの連載で紹介した、職業活動、移動、空間の利用といった営為は、日常的なものであると同時に政治的なものでもある。しかし、そんな簡単に「そうか、政治的なんだな」と言ってのみ込めるなら、これほど社会運動は遠巻きに見られていないだろう。社会運動を日常の一部として捉えるためには、もっともっと「日常」と「政治」の境目、社会運動とそうでない行為の違いについて考える必要があるのではないか。

 そこで今回紹介するのは「ガーデニング」の研究だ。

【今回の論文】ローラ・ポッティンガーによる「種を植えるという静かなアクティビズム」

Laura Pottinger, 2017, “Planting the seeds of a quiet activism” Area, Vol. 49, No. 2.

 英国で研究を行う地理学者、ローラ・ポッティンガーは、ガーデニング愛好家の人々が希少種をはじめとする植物の種を選別、収集、乾燥、保存する試みに着目する。こうした活動は、「シード・セービング(Seed Saving、種の保存)」という活動だ。

 シード・セービングにはイベントもある。このイベントには、趣味的にガーデニングを行う人々や地元の農家、環境保護団体が集まり、それぞれに自分が育てた種を交換したり、慈善団体が運営するシード・ライブラリーに、希少な野菜や草花の種を保存したりすることができる。イベントを通してでなくとも、シード・セービングの愛好者たちはそれぞれに育てた植物の種を直接会って交換したり、郵便で送りあったりすることでネットワークを築いている。

「シード・セービング」のどこが社会運動?

 日本でもガーデニングの愛好家は多くいて、例えば私の友人や祖母も多種のバラを育てたり、他の人と球根か何かを交換したりしたのを見た記憶があるが、それが「運動」だとはあまりとらえていないような気もする。では、この「シード・セービング」のどこが社会運動なのだろうか?

 ポッティンガーは、ここ数十…

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