JR東海の須田寛さん逝く 自由席愛した初代社長、鉄道ファンも慕う

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伊藤裕香子

 13日亡くなった須田寛さんは、1987年4月のJR東海初代社長への就任を「とにかく驚いた」と後に振り返っている。「日本国有鉄道(国鉄)の急激な分割民営化にはむしろ抵抗があり、積極的に改革を支持しなかった私はいずれ辞めると思っていた」からだ。

 しかし、運輸省(現国土交通省)が民営化の1カ月半前に各社の社長人事を発表し、国鉄総裁から「決まった人には行ってもらう」と言われて内定する。国鉄時代の地方勤務は名古屋が長く、「それが選ばれた理由かなとも思った」と話していた。

 新幹線には、建設中だった1961年の国鉄資金課時代からかかわった。「国民経済に与えたプラス効果という光の陰で、建設費の借金が国鉄の赤字転落の原因の一つになったのは皮肉なこと」と語るなど、思い入れは深い。

 社長就任の直後に始めたテレビCM「シンデレラ・エクスプレス」は「JR東海が新幹線を経営していることを知って欲しい」とのねらいから。0系車両だった最終列車の「ひかり」を、CMと同じ新型の100系に変更したことを、社長としての「功績」だとうれしそうに話していた。「のぞみ」の投入や品川新駅の設置の決断をはじめ、新幹線の速度向上と快適性の追求にも力を注いだ。

 上場に向けて経営基盤を固め…

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この記事を書いた人
伊藤裕香子
編集委員
専門・関心分野
税財政、くらしと消費、地方経済