子供の頃アートをどう習ったんだっけ? と改めて考えてみている件

2017.09.28 Thursday 06:46
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    フランスで1週間ぐらい制作して発表して帰る。

    そう思ってきたんだけど、思いがけず展示の開始日が土曜日となり。

    金曜日の午後から展示の準備があってプレ来客もあるというので、気がついたら制作日が3日半っていう、もうなにそれってぐらい突貫工事の展覧会に向けてなんか作ってます。

     

    無理だろうと思うけど

    まあ、なんとかなっちゃうことを信じて。

     

    そんな最中に、ちょっと考えることがあったので書いてみることにする。

    (試験の前にまんが読み出したりしちゃうという、あれですな)

     

     

     

    先週Montbardで数日過ごしていたとき

    私が何度か語学の先生をお願いしていたクロディーンと話していて、こんなことを言われた。

     

    いづみ、日本の人はなぜ、答えのないものに答えるのが不得意なのかしら。

    フランス語の勉強をするのに、私はよくいろんなシーンを描いたイラストを使うのよ。

    外で男女が話しているとか、その横でペンキを塗っている人がいるとか、その類のもの。

    で、それを見て、このシーンを説明してというと

    日本人の多くの人は固まってしまう。

     

    この男女は夫婦ですか?

    それとも友達ですか?

    ここはレストラン? それとも誰かの家?

     

    そんな風に答えを欲しがるの。

    でもこのイラストには答えはないので、もうあなたの好きなように想像して答えていいのよと言うんだけど

    小さなヒントからそれぞれにイメージを広げて行くのが、不得意な人が多いなあと感じる。

    フランス人やアメリカ人とか、もうそれは好き勝手に話し出すわよ。

    この二人は不倫中で隠れてバカンスにやってきたんだけど云々、、、、って>笑

     

     

     

     

    あああ、もうね。

    なんかそれ、私もそうだったからわかる気がするね。

    私もその絵見せられたことあるもの。

    で、あまりにヒントが少なすぎて、どう説明していいかわからなかった。

    これだけの情景で、説明できるわけないじゃん! と思ったけど

    勝手にどんどん解釈して自分でストーリーを作っちゃえばよかったんだな。あれは。

     

     

    ま、その話は横に置いておいて。

     

     

     

    今年もブルゴーニュの小さな街で開催されている催しにいくつか行って

    またいつものような感想を持った。

     

    アートが本当に自由。

     

     

    まあ、パリの有名ギャラリーとかなら別だろうけど

    ほぼ、誰も立派な額になんて絵を入れていない。

    展示の仕方が本当にユニークで、すごく参考になる。

    クリップで止めただけの人。映写用のスクリーンにつけている人、スチロールに貼ってるだけの人、ただピンで止めただけの人。

     

    画布や素材も、かなり独特で安上がりなものを使っている人も多い。

    そして、題材が本当に多種多様で面白い。

     

    とにかく一番うれしいのは

     

    風景画と静物画と花の絵とか人物画 が一切ないことだ!!!!

    (ふんがっ!!!!)

    (もう、日本だとあれなんで? いや、いんだけどさ、描きたい気持ちが大切だから。でも、ほんと、フランスであの手の絵に遭遇したことない。これは本当に不思議だ。技術じゃなくて創造性と個性のほうが重視されると、この手の絵は減っていくのかもしれない)

     

    そんでもいっこすがすがしいのは

    誰もプロフィールなんてずらずら書いたものを展示していないってことだ。

    作家名だけ。

    いいじゃん、それで。

     

    日本だと、作品を見るだけでは評価しずらくて

    プロフィールや経歴で判断してはじめて、作品の価値が見えて来るってことなんだと思う。

    ブランドというか。自分以外の誰かが評価してくれているものに、安心するというか。

    ま、私もそういうところはあるから偉そうなことは言えない。

     

     

    展示を見るSemurに住むお友達。

     

     

    今回見たのは小さな町の公会堂みたいなところでやっているアートの展示だけど

    クオリティは高いし

    そして何より

    見に来た人たちが本当にそれぞれに、作品について延々と語ったり批評しあっているのが楽しかった。

     

    私はこちらの友達と、そしてクロディーンと一緒に2回行ったけど

    都度呼び止められて「あれ見た? あれいいよ」「これはおもしろいでしょ」と声をかけられる。

     

    「私はこの写真が一番好きよ。これは見ていったほうがいい。ものすごく力強い。この人、ウクライナから来た写真家よ」

     

    そう言われて見に行った写真が素晴らしくて、同行のクロディーンに今の人は? と効いたら

     

    「あ、彼女はいづみもよく知ってる、ビオのマルシェで野菜を売ってる人の奥さん」

    と言われた。

     

    そのあと、声をかけられてまた、いい作品があるよと言っていったのは

    郵便配達のおばちゃんだった。

     

    そして、このぺらっとしたもんが、300ユーロ? みたいなもんが

    親戚でも友達でもない人に、ちゃんと買われていくということも知った。

     

    日本では、なかなかこういうことには遭遇しないなあと思う。

     

    それで、その展示の一部屋では、子供達が先生と作家と一緒に、インスタレーションを見ながら授業をしていたんだけど

    そのインスタレーションっていうのがさ、もう、学園祭の出し物みたいなちょいチープな代物で。

    どうやっても、これを前に何を語るのだろうと思っていたら、

    ずらずらとぶらさがっているおばけみたいなモチーフの一つ一つを

    「あれはなんだと思う?」と子供たちに答えさせているのだった。

     

    あれはマスク

    あれは人の顔

    あれは動物かも

    あれは影?

     

    そしてそのすべてが正解で、とにかく一番大事なのは、見たものに対して自分の感じたこと、解釈、意見を言うことなのだ、ということらしい。

    フランスではどんな美術館でもたいてい子供達が床に座って先生と絵を見に来ていて、延々と長い時間、先生が説明もしているけど、子供達もなんだか勝手に意見を言っている。

     

     

    それで思い出そうとしたんだけど

    私たちは学校で、いったいどんな美術教育を受けていたんだっけなあ。

    ゴッホがアルルの家で描いたゴーギャンの椅子を見て

    どんな気持ちだったんだろうと考えたりとか、その絵を見て自分がどんな気持ちになるとか

    そんなことをだらだらじっくり、話したりしたこととか、あまりないような気もするけど、実際はどうなんだろう。

    忘れちゃった。

     

    たとえそれが有名な人の作品でなくても

    自分が好きだなと思ったものの前で、自分なりの解釈をして意見を言い合い、作家がいれば制作の意図や技法を聞き

    ああ、そりゃいいねと思えば作品を買う。

    日本でなかなかそういうことが起こらないのは、やっぱり「答えのないものに自分の解釈をつけていく」ということに対する訓練が、圧倒的に足りないせいなのかもしれない、とも思ってみたりする。今はどうなの?

     

     

     

     

    物事には、答えが必要なものと

    答えがなくていいものがあって。

     

    私が受けてきた教育は、答えがなくていいものにも答えが用意されていたり

    それぞれが独自の解釈をしたときに、それを面白がったり、批判しあったりする土壌があまりなかったなあ、とも思う。

     

    批判(クリティーク)というのは相手を否定することでよくないことで

    それぞれが自分なりに正しい答えを持っている状態で、意見のやりとりをするという訓練があまりできていないんだと思う。

     

     

     

    それで思いだしたけど

    私が小学生の時

     

    もう原型は忘れてしまったけれど、誰かの俳句を読んで、それがどういう風景を表しているのかと先生が問うたことがある。

    私はその俳句を読んだら

    雨上がりの風景がぱーっと目の前に浮かんできて、手をあげて

    「雨が上がって日の光が差してきて、その時大きな木の下にいたら風が吹いて、一斉に葉っぱの水が落ちてきて。その水が太陽の光を反射してきらきら光って、宝石が落ちてきたみたいにきれいに見えた」

    と答えた。

     

    そしたら、先生は

     

    「は? なんですか、それは。ぜんぜん違います」

     

    と言って、他の人が答えた

    「木の下で木漏れ日がゆれている」という答えに

     

    「それが正解です」 と言った。

     

     

    私はずっと釈然としなくって、

    たぶん、それが正解なのかもしれないけど

    私はその時、その美しい風景が確かに見えて、それはとっても素敵じゃないかと思ったのだった。

    その自分のイメージの美しさを、「ぜんぜん違います」と言われたことに、なんだか腹がたつような傷ついたような不思議な思いをしたこと、今でも覚えてる。

     

     

    あ、大学の時のこんな話もある。単位をとるために短大の図書館学の授業を一コマとったら、病院でのいわゆる感動もののドキュメンタリー作品みたいなものを見せられて、それで教室中で女子大生がぐずぐずと感動して泣き出すという場面があった。

    んで、感想を聞かれたので正直に

    「これはどこまでがノンフィクションで、どこの部分が再構成なんですか?」と聞いたら

    教授もまわりの学生もびっくりした顔をして

    「そんなことをこれまで言った学生はいない。君には物事に感動するという心はないのか」と言われてびっくらいこいた。

     

    いや、だって、主人公のおばあちゃん、俳優さんでしょ? 最後死んじゃったし、台詞回しが役者さん。

    でも介護してた子は障がい者で、役者さんには見えなかった。

    このエピソードに関して、誰が本物で誰が配役なの?

    そういうことも勘案せずに、感動ものにはただ泣けと?

    批判したわけでもなんでもないのに、なんで怒られるんだか。

     

     

    なんかいろいろわかんない。

     

    たぶん作者は雨あがりの風景を描いたのではないと思うけれど、

    そういう解釈もあるんだね、美しい風景をイメージしたね。

     

    ドキュメンタリーの手法として、この方法がどういう効果を生むのかを一緒に考えてみよう。

     

     

    そういう風に語り合えたらよかったのになーって思う。

     

     

    とりとめなくなっちゃったけど。

    最後に。

     

     

     

    私が書いた原稿がさ、

    どっかの大学の入学試験に使われたのよ。

    それがその後送られてきて。

     

    「作者は下線の部分で、何を言いたかったのでしょう」 って設問になってて

     

     

    え? エ?

    私この部分でなんか言いたかったことなんてあったの? って思って答えを見て

     

    へー。

    私こんなことを言いたかったんだ、とびっくりしたよ。

    本人考えてもないことが書いてあった。

     

     

    「正解」なんてそんなもん。

     

     

    たった一つの答えなんて、あるわけがないんじゃないのかな。

     

     

     

    アートは想像力を広げてくれるもの。

    日本でその教育時間がどんどん減っているというのは

    とてもとても、寂しいことだと思う。

     

    フランスに来ると、さらに、そう思う。

     

    あー、でもね、と追記。

     

     

    若い世代は自由にアートを楽しんでるなあとほんとによく思うの。

    そういう空気、どんどん広げていってほしいなと思う。

     

    窮屈にしているのは私たちの世代。

    想像力がない人たちが動かしている大人の世界。

    未来は素敵でありますように。

    category:アートと暮らし en France | by:武蔵野婦人comments(0) | - | -

    フランスで「こけし」の説明をしたらなんだか大変なことになってしまったお話

    2017.09.26 Tuesday 15:15
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      フランスにアートレジデンスに来ています。

      なんでそうなったんかというあたりは長くなるのでまた改めて。

       

      それで、こないだこっちのアーティストさんたちとごはん食べてたときにした話について、書く。

      「こけし」がテーマ。

       

      レジデンスするアトリエを借りる前日にJoignyというパリから1時間ほどの街に到着して

      こちらに住んでいるフランスの友人の家に1泊させてもらいました。

      彼女はパリから移り住んできた脚本家&画家の女性。私よりずっと若くてとってもきれいで、ほんまええ子なんよ。

      (突然関西弁)。

       

      彼女の家には、ポーランドからやってきた写真家の、これまたかっこいい女の子が

      この街に住めないかと家と仕事を探すために一時的に滞在していて、朝おしゃべりをしていて、こんな話になった。

       

      私が日本から持参した、七福神の絵が描いてある九谷のぐい飲みを、前の夜にそれぞれの人にあげたんだけど

      それがすごく気に入ったからここに飾った! とクレールが言う(画家の女の子)。

       

      ーうん! 私も! ほんとうれしいよ、ありがとう、とウルスラ(ポーランドの写真家の子)も言う。

       

      すると、その横に日本のとても古い小さなこけし人形が飾ってあって

      そういえば、とウルスラが話し出した。

       

      ーそれって、やっぱり日本のものでしょう?

       私前に友達にもらっんだ。

       それは身を守ってくれる幸福のお守りなのよね? だから片時も離さず持ち歩いているんだけど。

       

       

       

      あれ、こけしってそうだっけ?

       

       

      なんか適当にうなずいておけばよかったんだけど

      ついつい調子に乗ってこんなことを言ってしまった。

       

      あー、そうだね。でも日本では持ち歩くお守りというのではないかも。。。。。。。

       

      ーえ、じゃあどういうものなの?

       

      「こけし」というのは日本語で「消えた子供」という意味にもなるんだよ

       

      ーえ!?

       (一同蒼ざめる)

       

      いやいや、いろんな解釈があるんだけどね。ただ、昔日本の農村はとっても貧しくて、子供が生まれてしまっても育てられないということも多くて、やむなく生まれたばかりの子供を処分したりもしたの。その時、その子供の代わりにこけしを飾ったという人もいる。

       

      ー!!!! じゃあ、これは死んだ子供の身代わりなの?

       

      ここで家主のクレールが、あわてて飾り棚からこけしをどけて、ウルスラに返しながら

      ー前にも言ったけど、私これ、好きじゃなかったの。だからこれはもう置きたくない。あなたが持っていって。

       

      ウルスラも震えながら

      ーなんてことなの! 私はこれは私の身を守ってくれると言われたから、世界を旅していたここ2年の間、ひと時も離さずに身につけて、寝るときは寝室に飾って、ずっと持ち歩いていたの。幸福のシンボルと思っていたものが、殺された子供の身代わりだったの?

       

       

       

      もう、私はすごく慌ててしまって、なんとか話を元に戻そうとこう言った。

      いやいや、民俗学としてそういう解釈もあるっていうことで、こけしは日本の多くの観光地で作られて売られているし、たくさんの人が買って飾ってるよ。

       

      ー待って。どうして殺した子供の代わりに人形を飾るの?

       

      えっと、その子が家を守ってくれると考えたんだと思う(しどろもどろ)

       

      ーなぜ殺した子が家を守るの????

       

      ひえー。

      ちょっと待って。ちゃんとした由来を説明するから。。。。。

       

      、、、とあわててwikiを出して、フランス語での説明を試みる。

       

      あくまでもそういう解釈があるってことで、本来は神様が降りてくる場所だったり、子供のおもちゃだったり、とにかく日本の地方でよく作られているんだってばー。

       

       

       

       

      がしかし、時はすでに遅く。

       

      ウルスラはこけしを手のひらの中に収めながら、何やらすごく深刻な状態になってしまった。

      私は一生懸命、大切な人にもらったお守りとして持っていればいいと言ったけど

       

      ーでも、この人形にはダブルミーニングがあるってことよね

       

      というので、

      うーん。でも日本人はそんなことは今は気にしていないし、あくまでも昔の話で、そういう人もいるってぐらいのことで。。。。

       

      といっても全然だめぽ。

      困ったな。申し訳ない。変なこと言っちゃって。ごめんねー。

       

       

      私はひたすら謝っていたんだけど、

      彼女がそこで深く物思いにふけってしまったのには、どうやら別の理由があったようだった。

       

      しばらく彼女はクレールと早口のフランス語で何か話し続けていて、小さな声で早く話されるフランス語が聞き取れない私は、申し訳ない気持ちいっぱいで佇んでいたんだけど。

      それからおもむろに、私に向けてわかりやすく説明をはじめた。

       

       

      彼女が住んでいたポーランドでは、さまざまは歴史の繰り返しがあって

      先日彼女の家のすぐそばで、無縁仏(という表現かどうかわからないけど、とにかく身元不詳の人たちがまとめて埋葬されている場所)のお墓がみつかったのだそうだ。

      そこには誰のものかもうわからない骨が混じり合っていたので、DNA鑑定が行われることになった。

      そこで、そのうちのひとつが、血縁としては彼女の叔父にあたるものであることが判明して、その子は生まれてすぐに亡くなっていることがわかった。でも、そのことについて、彼女の身内は誰一人知らされていなかったし、生まれてすぐに死んだ子供がいるということが、その時はじめてわかったのだそうだ。

       

      彼女の身内は、その生まれてすぐ亡くなった子供のためのお葬式を、つい先日済ませたばかりだ、と。

       

       

      ーこのこけしは、私たちがその死んだ子供のことを知る前に、私の手元に来たの。

       それからずっと、私はこの人形と一緒に旅を続けてきた。この子はずっと私と一緒にいたんだよ。

       この間、私たちはお葬式をして、誰にも知られずに死んでしまった小さな子供を見送った。

       

       今日ここに、日本からいづみが来て、その話を聞いて

       なんだかすべてがつながっているんだと思った。

       

       この人形は、きっと私たちのその小さな子どもの代わりに、私の手元に来てその存在を教えてくれて

       旅の間私を守ってくれた。でも、お葬式を済ませて私たちがその子を見送ることができたから

       これはもう、私が手放していいということなんだと思う。

       

      え? え? そうかな。そうなのかな。

       

      ーいづみ、あなたの国では、死んだ人をどうやってとむらうの?

       

      えっと、焼いて埋める。

       

      ー埋めるのね?

       

      あー、うん、埋める(もう説明がうまくできない)

       

      その日、私は朝食を食べたら家の裏にあるぶどう畑の丘に登って、制作の足しになるような写真とか石ころとかを集めて歩く予定だった。ウルスラは家で仕事をしているから、いつでも寄っていいよと言ってくれていたんだけど

       

      ー私、今日の予定を変えることにした。

       これからいづみと一緒に、ぶどう畑の丘に登る。そして、この人形を埋めておとむらいをする。

       ちょっと待ってて、すぐ着替えてくるから!

       

       

       

      あー、えっと。うーんと。

      ごめんごめん、変なこと言っちゃってごめん。

      持っていても大丈夫なんだよ、不吉なものじゃぜんぜんないんだよ。

       

       

      ー違うのよ、今、私はいづみに心から感謝してるの。

       その話を教えてもらって。

       私にとって、今の話はものすごく大切なことで、とても心を打たれたし、こうすることが私にとても重要なの。

       

       

       

       

      ということで、私たちは丘に登り

      森の中の古い古い2つの木に挟まれた場所に穴を掘って

      日本の古い、小さなこけしを埋めた。

       

      ー日本では、お墓をお参りするときに何を飾るの?

       

      というので、花を飾って、お墓には水をかけて清めたりする、と話したので

      彼女はこけしにたくさんの花をもたせて、ペットボトルに入れた水を最後に墓石に見立てた石の上にかけて、お祈りをした。

       

      ポーランドのやり方と

      日本のやり方で。

       

       

      彼女は祈りの言葉を唱えたけど

      日本では手を合わせて、声は出さずに心の中で思いを伝えるんだ、と話したら

      じっと手を合わせて目をつむっていた。

       

       

       

      なんだろう。

      私、悪いことをしたのか

      いいことをしたのか

      よくわからなくなってしまったけれど

       

      これはこれで、

      なんだか不思議な体験だったんじゃないかなあと思う。

       

       

       

       

      それから彼女はぶどう畑の真ん中で、丘の上から街を見下ろしながら

      しばらく座禅を組んで瞑想をしてから帰るといって、その場に残った。

       

      戻って来た彼女と、クレールと、クレールの男友達が加わって昼食をすることになり

      話は当然、そのことになり

       

      どうやら彼女は、その帰り道で誰からのものともわからない携帯のメッセージ入り続けて

      すごく怖い思いをしたらしい。怪奇現象というか、霊障というか。わかんないけど、そんなものじゃないかと思っているようで

       

       

      その彼女に対して、加わった男友達が一生懸命アドバイスをしているのも、また不思議な体験だった。

       

      おかしな状態になった時には、大きな声で「ストップ!」と叫ぶのも効果がある、とか。

      仏教では声明を唱えるとか

      そして突然 南妙法蓮華経 を唱えだすとか

       

      とにかくもう、いろいろ面白い。

      というか、こちらの割と知的な人たちは、たぶん、私たちよりずっとよく

      仏教とか禅について知っているし

       

      レイキとかホメオパシーとか

      日本では、勘弁して、胡散臭いと思うような内容のことも(ごめんなさい)

      とても真剣に取り組んでやっている。

      ほんと、面白い。

       

       

      で、やっぱりフランスでも、ちょっとおかしなことがあったら

      塩を撒くんだそうです。

       

      日本だけかと思ってたけど。

       

      肩越しに塩を撒く。

      おばあちゃんちでもよくやってた、って言ってたよ。

       

       

       

       

       

       

      最終的に、ウルスラはミントの葉を両手に握って

      木の下で瞑想していました。

       

      いづみは大丈夫? って言われたけど

      私は何事もなく、大丈夫です。

       

      という、こけしから始まるお話でした。

       

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