第21回石破氏VS安倍氏、崩れたライバル関係 「選挙の顔」今
第2次安倍政権は「安倍1強」と呼ばれた。国政選挙で自民党を大勝に導き続けた首相、安倍晋三が党内で圧倒的に力を持ち、首相官邸が絶対的な権力で霞が関を支配した。「1強」を生んだ遠因は最大のライバルだった元幹事長、石破茂にあった。二人の関係を軸に「安倍1強」の興亡を振り返る。
「安倍1強」草創期――安倍と石破、「二枚看板」の時代(2012年9月~15年9月)
安倍政権の誕生には、民主党政権の低迷だけでなく、自民党内にあった「石破アレルギー」が一役買った。
自民党の次期衆院選での政権復帰が確実視される中で行われた12年9月の党総裁選。石破は1回目の投票で、地方票の過半数を奪って安倍らを圧倒したが、国会議員票が伸びず、田中角栄が福田赳夫を破った1972年総裁選以来の決選投票となる。
石破は自民党が下野し、細川連立政権だった1993年12月に離党したこともあり、当時自民党幹事長だった元首相、森喜朗ら党重鎮の間では「苦しいときに、石破から後ろ脚で砂をかけられた」との思いから「石破嫌い」も根強かった。安倍は、「石破政権」の誕生を嫌う国会議員たちの票を集めて決選投票で逆転。病気で首相を退いた07年9月以来の総裁に返り咲いた。
衆院選を控えた安倍は不本意ながらも、石破を幹事長に据え、「二枚看板」態勢を敷いた。必ずしも気が合わない石破を、党員人気を考えて「選挙の顔」として使わざるを得なかった。
プレミアムA 長期連載「未完の最長政権」
「1強」と呼ばれた安倍政権は、強い官邸をめざした改革の到達点だった。しかし、それは後手に回ったコロナ対応の遠因にもなった。安倍政権の内実に迫る長期連載です。
安倍、石破のトップ2が載ったポスターで戦った自民党は12年末に政権を奪還。総裁選で安倍を推した菅義偉、麻生太郎、高村正彦らで政権中枢を固める一方、石破を幹事長に留任させた。そして13年夏の参院選で安倍自民党は大勝。衆参のねじれを解消させた。
幹事長として参院選勝利に導いた石破は、この時も留任する。この間、石破は安倍の政権運営に表立って異論を唱えることはなかった。
石破が沈黙したのは、麻生政…
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