第1回105階から生還した男性の9・11 「叫び声、今も」
米デラウェア州に住むジョゼフ・ディットマーさん(64)の右手首には、タトゥーが入っている。
《911》
あれから、20年がたつ。「昨日のことのように感じる。あの出来事は影のようなもので、どこにいってもついて回る」。忘れられないし、忘れてはいけないと思う。あの日の入館証や、さびついた建物のボルトもまだ、取ってある。
4人の子は37~41歳になった。新たに3人の孫ができた。自宅の壁には、1年半前にうまれた双子の孫の写真が飾られている。
あの日、世界が震えた日、105階の会議室には、54の命があった。
米同時多発テロからまもなく20年が経過します。全世界を震撼させた同時多発テロは世界を、そして米国をどのように変えたのか。さらに、米国が始めた対テロ戦争は世界にどのような影響を与えたのかに迫る連載です。連載初回では、同時多発テロ発生時、米ニューヨークの世界貿易センタービルにいた男性を取材し、当時ビル内で何が起きていたのかに迫ります。20年経って、男性は今どんな思いを抱えているのでしょうか。
ある男性は90階まで下りてトイレに向かった。ある女性は78階で高速エレベーターを待った。2人は亡くなった。
ディットマーさんはただ、ひたすらに階段を下り続けた。外に出て、10分ほどでビルは崩落した。
助かったのは54人中、7人だけだった。
2001年9月11日は、快晴の火曜日だった。ディットマーさんは午前8時15分ごろ、取引先の保険会社の会議に出席するために、ニューヨークの世界貿易センター(WTC)南棟に着いた。
週末には故郷のフィラデルフィアで家族と会い、30年以上シーズンシートを保持し続けたフットボールチームの試合も見た。前日にはゴルフで汗を流した。すべてが計画通りで、すべてが順調に思えた。
だが、午前8時ごろから相次いで離陸したボストン発ロサンゼルス行きの旅客機2機が、国際テロ組織アルカイダによってハイジャックされていた。
南棟105階の会議室では午前8時40分ごろ、正方形に机が並べられ、出席予定の54人全員がそろった。雑談をしたり、名刺交換をしたりする時間が続いた。
WTCは両棟ともに110階建て。高さ400メートルを超すツインタワーは、ニューヨークのシンボルだった。南棟で使用中の階としては105階が最も高く、そこから上は、営業開始を待つ展望台や設備室だった。
午前8時46分、ディットマーさんがいた南棟の会議室の電気が2、3回、ちかちかと点滅した。隣の北棟に、飛行機が突っ込んだ時間だ。
ただ、部屋に窓はない。当時はスマートフォンもなく、何か携帯電話に通知がくるわけでもなかった。
「電気の点滅以外は何も感じず、何も見えず、何も聞こえなかった」
直後、緊急時の先導を担う男性が会議室に入ってきて、言った。「北棟で爆発があった。避難しないといけない」。ただ、会議室にいた誰もが信じなかった。
「勘弁してくれよ。ここはニューヨークだぞ。常に何かが起こるし、常に緊急事態じゃないか」
そんな声があがった。それでも、結局は全員が先導役の求めに応じ、会議室を出た。何が起きているのかわからないまま、非常階段を下りた。携帯電話は使えなくなっていた。
記事後半では、ディットマーさんが避難して生還するまでの様子を伝えます。崩れゆくビルを見ながら、ディットマーさんは何を思ったのか。現在の心境も取材しています。
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