腫れた唇、小麦は克服したのに… 3歳で分かったクルミアレルギー

有料記事患者を生きる

鈴木彩子
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 「アレルギー用のミルクに切り替えます」と医師が言った。

 思えば、「食物アレルギー」という言葉を聞いたのはそのときが初めてだったかもしれない。

 2010年の春。横浜市の若林真帆(わかばやしまほ)さん(50)は、まだ生後5カ月だった長女の真優(まゆ)さん(12)を連れて実家に帰省していた。

 結婚5年目に生まれた、待望の一人娘。生後1カ月ごろから口の周りの湿疹が少し気になるほかは、元気にすくすくと成長していた。母乳だけで育て、離乳食のおかゆを食べ始めたころだった。

 当時住んでいた仙台市から新幹線で横浜市に向かい、実家に到着して一息ついていたとき。

 ガタガタガタ……。

 突然、真優さんがわなわなと震えだした。唇の色がさーっと紫色になって、瞳がすうっと斜め上の方へ上がっていく。

 震えは1分ほどでおさまったが、夜と、翌日にも同じように震えた。「様子がおかしい」と、近所のクリニックを受診した。

 状況を説明すると、医師は「念のため」と言って総合病院に紹介状を書いてくれた。その足で横浜市内の大学病院を受診した。

 震えの原因を調べるため、CTなどを撮影することになった。待合室で、眠くなる薬を混ぜた粉ミルクを飲ませていると、また、唇が紫色になって震えだした。粉ミルクを飲ませたのはこの時が初めて。あたりが騒然となり、真優さんはそのままどこかへ運ばれていった。

けいれんは良性、検査でわかったのは…

 状況がわからないまま、入院…

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この記事を書いた人
鈴木彩子
くらし報道部
専門・関心分野
医療・健康、脳とこころ、アレルギー