水前寺清子が主演した伝説のドラマ 出演の決め手は「待ち伏せ攻撃」

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聞き手・斉藤勝寿
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 《歌手だけでなく俳優活動にも進出。コント55号(萩本欽一、坂上二郎)のコメディー映画にも出演する》

 演技の勉強はしたことはありませんが、素のままでいいからと言われたので何とかできたのでは。欽ちゃん、二郎さんとはテレビのバラエティー番組「チータ55号」をやっていたぐらいだから、息が合ったのでしょうね。

 《1968年公開の映画「わが命の唄 艶歌(えんか)」(舛田利雄監督)では新人歌手の役。デビュー時の担当ディレクター馬渕玄三さんをモデルとする役も登場する》

 芦田伸介さんが演じた「艶歌の竜」こと高円寺隆三がそうです。似てたし、格好良かったですね。この映画のクランクインの日の撮影で、悲しいシーンがあって、憂いのある表情が良かったとほめられました。実はこの日、でかける直前にお父ちゃんが脳軟化症で倒れたのです。心配な思いが演技に出ていたのでしょう。

歌手の水前寺清子さんが半生を振り返る連載「援歌60年、ワン・ツー・ワン・ツー」の全4回の3回目です。

 《TBSのドラマ「ありがとう」はプロデューサーの石井ふく子さんの待ち伏せが発端だった》

 石井先生はレコード会社に出演を断られて直談判することに。歌番組収録の際、私が一人になるのをねらってトイレで待ち伏せていたのです。最初は「私は歌い手ですから、連続ドラマなんてとてもできません」と断りました。

 1週間後にまたトイレの前にいて、「私よりもっときれいな女優さんがたくさんいますでしょ」と言うと、石井先生は「美人じゃないからいいんです。普通の女の子が適役なんです」。この「美人じゃないからいい」を5分間に7回も言ったのですよ。でも、不思議と腹が立たなかったのは、事実だし、先生の人柄でしょう。

 待ち伏せ攻撃が何回か続いて、きっぱり断ったら、石井先生は「なら、この企画はやめます」。これが殺し文句だった。これほどまでに私に賭けてくれているんだと熱いものがこみあげてきて、独断で「やります」と言ってしまったのです。

母娘の丁々発止、演技忘れ本気

 《TBSのテレビドラマ「ありがとう」(1970年スタート)に主演することになったが、連続ドラマだけにスケジュールのやりくりが大変だった》

 本来は1本の収録にリハーサ…

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この記事を書いた人
斉藤勝寿
鳥取総局長
専門・関心分野
映画、鉄道、城
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