第4回いくつになっても乗り越えられる 加山雄三86歳、毎日「幸せだな」

歌手で俳優の加山雄三さんが半生を振り返る連載「波も嵐も越えられるさ 人生航海日誌」。全4回の最終回です。

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 《1970年代前半、親族の事業失敗に伴う負債に苦しんだが、東京・池袋の映画館で75年に「若大将」シリーズがリバイバル上映されると、人気が再燃する》

 借金ができて仕事がなくなったときも、歌や俳優の仕事をやめようと思ったことはなかったな。今と未来は全部一直線上でつながっていて、今が良くなれば未来が良くなるといつも思っている。だから目の前のことを一生懸命にやることが大事なんだ。そうすれば未来も必ず良くなる。やる気さえあったら絶対に大丈夫だと。そういう確信はずっと持っていたな。

 「池袋で若者たちに人気になって、大騒ぎになっていますよ」って聞かされて「ありがたいな」と思っていた。やっぱり若大将という映画があったから、おれがある。いま生きてるのはそのおかげだな。一つ一つの仕事、たどってきた足跡というのは大切なんだ。

 《76年のコンサートでは日本武道館が満員に。翌年、大ヒットした映画「八甲田山」にも出演した。冬山での過酷な撮影は語りぐさとなっている》

 何百人も連なって歩くんだ。おれなんて後ろのほうでカメラから遠いから、歩いてなくたっていいんだ。歩いてるふりしてるだけでね。雪の中に穴を掘って、そこに座ってるとあったかいんだ。おれがやり出したらはやったね。

 とにかく寒いからどうするか。チョッキにポケットをたくさん付けて、そこにカイロをいっぱい入れるんだ。太るけど、コートを着るからいいんだ。凍傷になる人が何人も出るぐらいの寒さだったけど、こっちはポカポカしていい気持ちなんだ。「お前よく平気だな?」とか言われて、「寒さに強いんです」なんてウソばっかり言ってね。頭は使いようってやつだ。

 その後、紅白歌合戦の司会もやったけど、そこではやらかしたな。

仮面舞踏会」を……

 《1976年、NHK紅白歌合戦に9年ぶりに復帰。7年連続出場し、86~88年は白組司会に。86年の紅白で「事件」が起きる》

 トップバッターが少年隊の「…

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この記事を書いた人
定塚遼
文化部|企画など
専門・関心分野
音楽など文化全般。生きづらい人を減らす取り組み
人生の贈りもの

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あのときの出来事が、いまの私につながっている――様々な分野で確かな足跡を残してきた大家や名優に、その歩みを振り返ってもらいます。[もっと見る]