即興でラップの技術をぶつけあうMCバトルが日本武道館や国技館で行われるなど、注目を集める日本のヒップホップ。このシーンの土台をつくった一人、ダースレイダーさん(46)は、選挙を題材にしたドキュメンタリー映画で監督を務めるなど、時事的な発信でも知られる。政治や社会問題に声をあげるのは、ラッパーゆえなのか。社会に声を上げた時に広がる冷笑にどう対抗すればいいのか。話を聞いた。
ヒップホップ50年 持たざる者から生まれた音楽
――日本語ラップブームと言われます。そもそも、ラップとヒップホップの違いは何でしょう。
ラップは言葉をリズムに乗せて演奏する歌い方です。言葉にリズムを生む手法の一つとして、韻を踏むことが基本です。ラップのほかに、DJ、ブレイクダンス、グラフィティの4要素から成るのがヒップホップ。僕自身、ヒップホップは、ある種の哲学、思想、考え方の枠組みだと思っています。
歴史をひもとくと、1973年、黒人が多く住む米ニューヨークのブロンクス地区で、ジャマイカ系移民のDJクール・ハークが妹の学校の制服代を稼ぐために開いたパーティーが始まりだと言われています。今年はヒップホップ生誕50年になりますね。
――節目の年なんですね。
初期のヒップホップパーティーには黒人やラテン系といった米国社会のマイノリティーの若者が集まりました。ヒップホップはDJがかける音楽とそこで踊る人々からスタートし、ラップはそうした場を盛り上げる過程で生まれた。ラップで歌われる歌詞は、生活に根ざしたものやパーティーの様子から、社会と政治に対する怒り、差別、貧困や格差への抵抗、薬物などと幅広い。決して裕福ではない人たちがマジョリティーである白人社会の遊び方をひっくり返した発明でもある。そういう意味でそもそものヒップホップは、マイノリティーの音楽と言えるし、持たざる者、はみ出し者が手にすることができる、逆転現象を起こせる武器です。いないことにされてきた人たちの音楽だからこそ、自分がどこから来て、どこにいるのか、現在の立ち位置やバックボーンの表明が大事です。
――MCバトルが若者を中心に人気です。
ヒップホップはそもそもスキルを競い合う文化でもあります。MCバトルはその側面をクローズアップしていると言えます。ただ、ヒップホップは持たざる者が持つ者をひっくり返すという力の構造ゆえのマチズモ(男性優位主義)を内包しています。そうしたマチズモが過剰化して、実際の暴力や、女性や性的マイノリティーへの差別につながることも繰り返されてきました。その都度、ヒップホップコミュニティーではそもそも成り立ちに戻る議論がなされ、乗り越える試みもなされてきた。MCバトルやラップミュージックがはやっていますが、日本でもこうした成り立ちを踏まえた議論が出来るコミュニティーの形成が大事だと思う。
脳梗塞、余命5年の宣告…レペゼンは病院
――ヒップホップには「代表」を意味する「represent」(レペゼン)という言葉があります。例えば、横浜育ちのラッパーが「レペゼン横浜」とシャウトするように、生まれ育ったまちやコミュニティーを背負うカルチャーがあります。ダースレイダーさんが背負うものは。
ヒップホップでは、地元に仲間がいて、彼らを代弁しているということが表現の強さです。これも持たざる者たちの可視化です。
でも僕は、親の仕事の都合で4歳までフランス、6~10歳をロンドンで過ごしました。日本の地元の公立校に入りたくても、イギリスのカリキュラムは日本より遅れているから、1学年下に入らなければいけなかった。小学校で留年は嫌でしょ。だから東京・杉並の家から離れた三鷹や練馬の私立の学校に通いました。地元という感覚を持たないまま、子どもの頃を過ごしました。
ラップとの出会いは浪人生時代です。元々、音楽を聴くのが好きだったけど、楽器は苦手でプレーヤーとしては難しいと思った。だから、音楽ライターになろうと思っていたけれど、ラジカセ一つで、言葉を演奏するラップだったらできることに気づいた。ただ、地元がないことは活動を始めてからも、コンプレックスで弱点でした。
33歳の時、転機がありました。脳梗塞(こうそく)で1カ月半ほど入院したことです。合併症で三半規管のバランスが崩れ、歩くのがやっとで絶望的な気分に襲われましたが、入院した4人部屋には僕と同じようにリハビリに励む人たちがいました。
そのとき、こう思いました。
こうした声なき患者たちの気…
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