自由の学風で知られる京都大学だが、教員や学生の目には、今の京大はどう映っているのか。
まず、京都大学職員組合の中央執行委員として学内の課題についての発信も続けてきた、大学院教育学研究科の駒込武教授に聞いた。
――京都大学にはいつ着任されましたか。
1999年、お茶の水女子大学(東京都)から京都大学に移ってきました。教育学研究科に所属し、日本植民地期の台湾における教育の歴史を研究しています。
京大に着任当時、驚いたことがあります。時計台前に3階建てのやぐらが立っていて、そこに学生たちがたむろし、日の丸と君が代を法制化する「国旗・国歌法案」に反対する「三次元闘争」と、立て看板(通称タテカン)に書いていました。
政治的なことをお祭り的な空間を通して発信する。日常の中に異物を作り出して、考えるきっかけを提起し、かんかんがくがくの議論が始まる。そうした自由の体現が京大の特徴だったという風に思います。
時計台前のやぐらなんて今は想像もできない状況になっています。権力を持っている人がきれいに空間を管理している。それはパブリック(公共的)に見えてそうではない。本来は教職員と学生、市民という枠組みを超えて議論できる空間こそがパブリックなはずです。
しかし、現実には色々と不自由が増えて、パブリックな空間が狭まっています。その象徴がタテカンの撤去です。
あるいは、風物詩となっている卒業式の仮装ですが、今年は大学側が無断で設置されていたとして道具を撤去しました。大学自身が不自由になって、関係者も不自由になっているという側面があるのでしょう。
大学の研究 幅を持ってやっていくべき
――京都大学は、世界トップレベルの研究力をめざす大学を作る「国際卓越研究大学」に応募しました。
実は、教授会を含めて学内では情報が入らず、新聞記事で初めて知りました。
資金を得られやすい分野にだけ研究が集中するのではないかと懸念します。いつ、どの分野の学問のニーズが社会で高まるか予測することは難しい。
ウクライナがここまで注目されると誰が予測できたでしょうか。専門的な研究者を生み出すには10年はかかります。無駄に思えても大学の研究は幅をもってやっていく必要があります。
もちろん、市民は社会に向けた研究の発信を大学に求めることができますし、大学はそれに応えるべきです。
ただ、いま政府が大学を社会に開けという時の「社会」は、一部の大企業の意向に限られてしまっていると感じます。
――今後どのように研究や教育活動をしていきたいですか。
学生には「よい文章を書く」ということに主眼を置いて指導しています。特に大学の卒業論文は、自分とは何者かを追い求めてもらうようにしています。
「体験に根ざした語り」には説得力がある。自分の体験に根差しながら、他者の体験にも通じる、奥深い文章をつむぐ力を高めてもらいたいです。
学生は社会と大学の接点にあたる人たちともとらえられます。多くは数年でいなくなりますが、学生が何を学びたいのかということは時々の社会の動向を表すとも言えます。
大学は学生を大切にしないとダメですね。そして、大学はどうあるべきか。学生のみならず市民とも一緒に考えていく場をもっと持ちたいと試みています。
「自由の学風」が変革の波に揺れている。霊長類研究所の解体や、講義の無料公開サイトの終了方針には反対や異論が噴出。国際卓越研究大学の選に漏れた京都大の今と行く末をどう見るか、学生や教員、卒業生らに聞いた。
◇
学生の思いはどうか。京都大学新聞の記者で取材活動をする大学院文学研究科の村田征彦さん(25)、法学部の荻原正裕さん(20)に話を聞いた。
総長や理事の話を聞きたい
――取材の制約を感じることはありますか。
村田 以前は大学の理事など…
- 【視点】
「権力を持っている人がきれいに空間を管理している」「色々と不自由が増えて、パブリックな空間が狭まっています」ーーこれは、京大に限らず、日本社会におしなべて言えることではないでしょうか。 たとえば美術館。あるいは公園その他の公共空間。思う
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