第4回5点の衣類、僕のものではない 獄中から「証拠捏造」訴えた袴田さん

有料記事巌より 袴田さん 獄中からの手紙

村上友里
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 袴田巌さんは逮捕後の1967年から死刑確定後までの20年超、獄中から家族らに手紙を出し続けていた。司法への期待と絶望、獄中での日々、そしてむしばまれていく精神――。数千枚の手紙からその半生をたどる。

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 半袖シャツ▽ズボン▽ステテコ▽スポーツシャツ▽ブリーフ――。現在に至るまで、検察側と弁護側で評価が対立している「5点の衣類」について、袴田巌さん(87)は見つかった当初から、「自分のものではない」と手紙で主張。捜査機関が捏造(ねつぞう)した可能性があると訴えていた。

 検察側は当初、巌さんの従業員寮の部屋から押収した「パジャマ」が犯行着衣だとして起訴していた。だが、みそ製造会社の専務一家4人が亡くなった事件から1年2カ月後の1967年8月、現場近くの工場のみそタンクから5点の衣類が見つかった。検察側は公判の途中から、この5点が犯行着衣だと主張を変えた。

 5点の衣類が発見された翌月、巌さんの手紙も5点の衣類に触れていた。

【直筆を見る】袴田巌より 獄中からの手紙

獄中から家族らに無実を訴える手紙を出し続けた。司法への期待と絶望、周囲の支援、獄中での日々、そしてむしばまれていく精神。手紙からその半生をたどる。

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この記事を書いた人
村上友里
国際報道部
専門・関心分野
難民移民、人権、司法
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