「速く」「分かりやすく」で単純化する社会 覆う不寛容と遠のく対話
聞き手・田中聡子
「エビデンス」という言葉が日常会話でも当たり前に使われるようになりました。文芸評論家の鴻巣友季子さんは、「自分こそ正しい」というバトルのツールになっている面がある、と指摘します。話を聞きました。
科学的根拠は重要ですし、私も大学の授業で「エビデンスを示すように」と言っています。ですが、誰かの意見に「エビデンス」を求めたり、自分の「エビデンス」を主張する際に、それが相手を言い負かす目的だけになったりしている場合があり、そういう風潮には疑問を感じています。
SNSでは、強い言葉で、短時間で、分かりやすく立場を表明する人に支持が集まります。何かが起きた時、すぐに明確な言葉を発信する人が「バズる」。そしてその際に根拠として何らかのデータなどを提示すると、「エビデンスがある」として、その意見の正しさが裏打ちされるかのような効果があります。
目的化した「バズる」
私が書いている書評や映画評…