元首相の宮沢喜一が残した政治行動記録(日録)が見つかった。期間は、高度成長期から第1次安倍政権の発足までの40年間、約1万5千日をカバーする。この日録をベースに、他の記録や取材メモと合わせ、宮沢の最大の強みである外交政策についてどんな構想を持っていたかを、宮沢氏を長年取材してきた記者が読み解く。ハト派と見られてきた宮沢だが、早くから日米同盟強化を唱え、軍事大国化する中国への警鐘を鳴らすなど、リアリストの面を併せ持っていた。
英語に堪能だった宮沢は、海外の政治家に知己が多く、世界における日本の位置づけをたえず考えていた。
1992年11月4日の日録には手書きで、「キッシンジャーに電話。大統領選結果につき、Our side is losing(我々の側は負けている)」とある。この日、共和党の現職大統領ブッシュ(父)が、民主党候補のクリントンに敗北したことが判明した。キッシンジャーは共和党きっての外交界の大御所だ。ブッシュ(父)は、保守色の強い共和党の中でも穏健路線で、権力主義をきらう宮沢とは波長が合い、尊敬していた人物だった。キッシンジャーの発言を記したのは、大統領選の結果が当時首相だった宮沢の落胆でもあったからだろう。
宮沢は晩年こう回想している…
- 【視点】
宮沢氏や宏池会を考える上でも、大変重要な指摘です。宏池会が「リベラル」というのは(政治的ライバルやメディアによる)ある種のレッテル貼りであると同時に、宏池会自身も(理知的に見えなくもないので)時に利用してきたイメージです。 ただ、現在
…続きを読む