「希望」を掲げた街、戻らなかった被災者 人口減時代の復興を考える
過疎の進む地域が災害に見舞われ、さらに活力を失う――。13年前の東日本大震災から復興に取り組む被災地が直面する課題だ。元日に起きた能登半島地震の被災地も少子高齢化が進む。被災者が暮らしを取り戻すのには何が大切なのか。
陸前高田 空き地目立つ中心部周辺
海沿いの「奇跡の一本松」から約1キロ。広大な空き地には、震災遺構となった3階建ての「米沢商会ビル」がぽつんと立つだけだ。かつての面影はない。
周囲より一段高い造成地に、真新しい大型商業施設やホール、博物館が立ち並ぶ。2011年の東日本大震災で最大17・6メートルの津波に襲われ、死者・行方不明者が計1761人にのぼった岩手県陸前高田市の中心部。「命を守るまち」をめざし、標高10メートル程度までかさ上げした。
だが、周囲には「貸地」や「売地」の看板が立ち、空き地ばかりが目立つ。
「震災前はみんな近くに住んでいたが、今は夜に歩いている人はほとんどいない。もっとにぎわいが戻ってくれたら」。大型商業施設近くですし店を営む阿部和明さん(70)は肩を落とす。自宅兼店舗は津波で流され、仮設商店街などを経て18年8月に今の場所で店を開いた。人が戻らず、早めに店を閉めることもある。
全世帯の半数にあたる約4千世帯が被害に遭った市が復興に掲げたのは「希望と夢と安心のもてる」計画だ。震災時を上回る「2万5千人台」を目標人口にした。
がれきとなった市街地を再整備するため、総額約1630億円をかけて、中心部約300ヘクタールの「土地区画整理事業」に取り組んだ。
だが、全国の地権者約3千人から同意を得るのに4年かかり、換地などを経て、事業が終わったのは2022年1月だ。
この間、住民は中心部から離…