命そのものを踊り尽くした天児さん 長年の盟友・麿赤兒さんが悼む
構成 編集委員・吉田純子
3月25日に74歳で亡くなった舞踏家で「山海塾」主宰の天児牛大(あまがつうしお)さんを、20代からの盟友で、1972年にともに「大駱駝艦(だいらくだかん)」を創設した舞踏家で俳優の麿赤兒(まろあかじ)さん(81)が悼む。
「麿さんですかぁ?」。長髪の、ちょっとロバート・デニーロに似たシティーボーイが東京・阿佐ケ谷の僕の部屋を訪ねてきたのは1971年のこと。俳優修業に飽き足らず、本当にやりたい表現を模索していた21歳の天児牛大だった。
僕はといえば、唐十郎の状況劇場をやめたばかり。乱闘して新宿で機動隊に捕まったりしていた日々からも、アングラ芝居からも足を洗い、すっかり燃え尽き症候群になっていた。
6歳年下の天児は、若さと勢…