関東大震災の朝鮮人虐殺 100年前の投稿を読み直す

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樋口大二
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 1923(大正12)年9月の関東大震災後に起きた朝鮮人虐殺について、日本政府は「事実関係を把握することのできる記録が見当たらない」(2023年、当時の松野博一官房長官)としている。だが100年前の東京朝日新聞にも、虐殺を嘆く投稿が何本か掲載されていた。東京大学教授の外村大さん(日本近現代史)とともに、これらの投稿を読み直してみた。

(*投稿の文中、現在は差別的で不適切とされている表現がありますが、歴史的な資料として原文のまま採録しています)

 外村さんは8月5日、朝鮮人虐殺の史実を認め、犠牲者へ追悼メッセージを出すよう東京都小池百合子知事に求める要請文を提出した東京大学の教職員有志の一人だ。記者会見で外村さんは、24年7月24日付の「鉄箒(てっそう)」(「声」の前身)に掲載された田邊定義さんの「震災供養」と題する投稿をとりあげた。

 「よくもあゝまで残虐な行為が我が同胞の手で行はれたもの、何としてあゝまで理性を失つたものかと、残念で堪まらないのは、かの鮮人襲来の蜚語(ひご)から生じた殺傷である」

 まもなく迎える震災1周年には「是非ともあの所謂鮮人騒ぎの犠牲者を心から弔ふことにしたいと提唱する」と記されていた。投稿した田邊さんは、東京市(当時)の職員を務めた後、111歳まで生き「男性長寿日本一」になった。

 外村さんは、田邊さんが都市…

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