星野源が自身を見つめた7年「孤独だからこそ人の温もりがうれしい」
音楽家、俳優、文筆家の星野源さんが、エッセー集「いのちの車窓から 2」(KADOKAWA)を出しました。2017年からの7年間に起きた身の回りの出来事や自身の心の機微をつづっています。様々な表現の場でお茶の間を楽しませているポップスターが抱える孤独や死生観とは。
――星野さんが文筆家としてエッセーを書き始めて20年弱になります。楽曲を作ることや演じることと比べて違いはありますか。
文筆業は、自分と対話して、自分を見つめ直して書くことが多いこともあって、一番、孤独な仕事だなと思っています。介在するのは編集者だけ。音楽も自分1人で作る時がありますが、演奏する時はバックバンドがいたり、ライブだったらファンの方がいたりしますが、それもありません。
エッセーを書くにあたっての姿勢は、エピソードを少し誇張して面白くするのではなく、なるべくそのまま描写することに気をつけて書いています。
――前作のあとがきで、星野さんの思う文章のうまい人を「エゴやナルシシズムを削(そ)ぎ落とすために使っている人」と定義していました。でも、エッセーは自分自身のことを書きます。矛盾は生まれないのでしょうか。
自分が今、○○と思っていることは、本当にそう思っているのか、実はよくわからないことがあると思うんです。例えば、「○○さんが苦手」だと思っていても、本当に突き詰めると、そうでもない時とかありませんか? 苦手だと感じた過去の自分を意識しているだけということが意外とあると思う。
人間は、色んな雑念やその時の雰囲気、過去の引っ掛かりに阻まれていることが多く、きちんと向き合って突き詰めると、今の考えと異なることが多いと思う。だから見つめ直すんです。書く行為によって、自分自身の心が整理されていき、セラピーやマインドフルネスのようにだんだんなっていきました。
――自分と向き合うという執筆ですが、星野さんのエッセーを楽しみにしている、多くの読み手がいると思います。読み手への意識は?
昔は読んで笑ってほしいとか、面白がってほしい気持ちがすごくありました。もちろん今も、「ここが面白い」と思っていることが伝わったらうれしい。
でも、自分の表現の中で、一番、受け手の人を意識していないかもしれません。メッセージにどう反応してもらえるかということではなく、自分の見た風景や心象風景を記録して、「あとはどうぞ」みたいな感じですかね。
「孤独は悪いことではない 一人ひとりが違う証明」
――孤独についてつづっている文章が印象的でした。出演したドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」(16年)、作詞作曲した主題歌「恋」は社会現象となり、注目度が一気に変わったと思います。孤独感はどう変わりましたか。
僕自身、小さい時から疎外感…