水俣病「解決済みじゃない」世に問うた最高裁判決 今も抱える矛盾
今村建二
水俣病関西訴訟の最高裁判決から15日で20年を迎える。国や熊本県の加害責任を初めて確定させ、「解決済み」と思われていた水俣病の問題を再び世に問うた。「画期的」と評された一方、今に続く「矛盾」も内在していた。意義と課題を、水俣病の解決を求める関係者は今も語り続ける。
「大阪じゃ水俣病と言うと劇症型の人しか思い浮かばんし、裁判する人は『銭もうけ』と言われたんで、嫌で嫌でしょうがなかった」
初代原告団長、岩本夏義さん(1994年に71歳で死去)の長女、小笹恵さん(71)=大阪府松原市=は当初、裁判には反対で、闘いの先頭に立つ父とは距離を取った。
水俣の沖の不知火海に浮かぶ獅子島(鹿児島県長島町)出身。漁師だった父は、水銀汚染で魚が取れなくなったため大阪へ移った。関西移住者の多くは、差別や偏見を恐れ、出身地を伏せて生きた。体の不調も、水俣病が疑われたが、口に出さなかった。
しかし、苦しさに耐えられな…