アーカイブ 千年の源氏物語 戦争と教育「最高峰」を時局も利用

吉村千彰
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この記事は2008年8月14日付朝日新聞朝刊で掲載されたものです。

下記、当時の記事です

 千年を超えて読み継がれてきた「源氏物語」。だが、戦前から戦時中にかけては万世一系の天皇制と相いれず、不敬の書とされた。その一方で、国家総動員法が公布された1938(昭和13)年には小学6年生用の国定教科書に初めて現代語訳が採用されている。時流にそって書き換えられ、世界に誇る日本の伝統文化として国粋主義に利用されたのだ。

 通称サクラ読本といわれた教科書には、「若紫」と「末摘花」を抜粋した訳文が載った。「若紫」では光源氏の屈折した恋愛感情の部分がそっくり削られ、「末摘花」は源氏と紫の君が絵遊びする場面で、加筆と削除で少女の無邪気さを強調する。だが恋愛の雰囲気は消しきれず、翌年「末摘花」は「紅葉賀」に代えられた。そこでは血縁にない2人の関係が「紫の君は、いとこの源氏の君のうちへ引き取られる」と書かれる。

 『「源氏物語」と戦争』(インパクト出版会)の著者、愛知教育大の有働裕教授は「優れた作品であるとは伝えるが、本当の姿は見せない。33年に『源氏物語』の演劇が上演中止になり危機感を覚えた国文学者の、古典を守ろうという意志と同時に保身も感じる」。

 教科書は文部省図書監修官の井上赳が編集した。国語教育学会会長で紫式部学会の会長も務めた東京帝大教授、藤村作(つくる)の教え子だ。

 この採用を、国文学者、橘純一が強く批判した。父帝の妻との密通、その不義の子の天皇即位、源氏が太上天皇に準ぜられたことの3点を特に問題視し、淫靡(いんび)で不健全で有害と指摘した。

 橘に対抗したため、井上は戦後、リベラルな教育者と見なされる。だが、井上に近い国文学者の島津久基は「源氏物語」にはすぐれた教育論が示されていると修身の教科書に提唱。藤村は、平安文学から良妻賢母を説いた。「『源氏物語』賛美イコール時局への抵抗という図式は成り立たない」と有働教授。

 ○世界的評価支えに

 青山学院女子短大の小林正明教授(国文学)は「権力は文化資本を利用するものだが、その時生まれるゆがみを見ないと。現代につながる問題だ」という。万葉集の大伴家持の長歌に曲をつけた「海ゆかば」、神武東征神話の歌からとった「撃ちてし止(や)まん」のスローガン化などは、ストレートに戦意高揚に使われた例だ。

 しかしなぜ「源氏」なのか。サクラ読本には「我が国第一の小説であるばかりでなく、今日では外国語に訳され、世界的の文学としてみとめられる」と採用の根拠が記されている。

 A・ウェイリーの翻訳が25~33年にかけて英国で出版、絶賛された。国粋主義の思想的支柱だった本居宣長が「源氏」に心酔していたことも大きい。植民地だった朝鮮でも「日本精神」を伝えるとして「源氏」は教材になった。

 一方で、研究者の中にも、サクラ読本で学んだ「源氏物語」の記憶を大切にする人もいる。実用的で硬い教科書の文章の中で、改ざんされたとはいえ「源氏」は、みずみずしさを放った。当時の児童への調査でも、とくに女子に評判が良かったようだ。

 ○イメージの先行も

 文部科学省は今年、学習指導要領を改定、古典をはじめとする伝統的な文章を学ぶことの重視が加えられた。有働教授は「ゆとり教育で軽視された古典の比重が増すならうれしい。だが、頭から名作や日本精神の典型などと思いこませては戦時中と同じ。様々な読み方ができる古典の魅力を自分で考え見つけ出せる教育になればいいが」と語る。

 龍谷大の安藤徹准教授(日本文学)は「伝統を学ぶために古典があるとされることに危うさを感じる。伝統文化には差別などの問題も含まれる。最近作られた伝統もある。中身がよくわからないまま無条件に大事だといえるのか」。

 カルチャーセンターでも源氏講座は人気だ。「関心は、恋愛模様と平安貴族文化の雅(みやび)や華麗な宮廷絵巻へのあこがれ。日本文学の最高峰というイメージが先行しているので、内容をよく知らない方がむしろあがめてしまうという面がある」と安藤准教授。

 戦争中の39~41年に刊行されベストセラーになった谷崎潤一郎の現代語訳は、国粋主義者で国語学者山田孝雄の校閲があったといわれる。だが、山田の蔵書や谷崎訳を研究している早稲田大大学院博士課程の西野厚志さんは「谷崎が自主的に削った部分も多いとわかってきた。山田の名を借りて、世間の声をしのごうとしていたのでは」。谷崎は戦後、削り個所を戻して新訳を出した。

 「源氏物語」の千年の歴史の中には、サクラ読本も谷崎の旧訳も確かに存在する。この過去を忘れずに見つめることで、また新たな千年が続くのだろう。

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