「しゃべりながら考える」無頼の学者を変えた震災 野口武彦さん追悼

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吉村千彰

長崎市長銃撃、阪神淡路大震災に激怒の電話

 文芸評論家で国文学者だった野口武彦さんは、長年、神戸大で教えた。助教授時代の教え子で、新聞記者になった私に電話をかけてきて、猛烈に怒っていたことがある。1度目は本島等長崎市長(当時)が銃撃されたとき。言論の自由と民主主義の危機について、熱弁を振るった。2度目は阪神淡路大震災の数日後。兵庫県芦屋市の自宅で被災し、「神戸の災害が大阪でさえ対岸の火事のように扱われている。震災で格差があらわになった」。電話線を通じて、「先生から青白い炎が見える」と思った。

 その後、朝日新聞に「『現地』とは孤立した局地の総和である。災害の全体輪郭は現場のどこからも見えない」と寄稿した。大災害の渦中にある者にとっては、全体像や被害の規模なんて分からない。それを肌身で感じたことで、江戸幕末の混乱が身近になったという。結果的にこの震災が、人生の大きな転機となった。

 生まれは東京。早稲田大在学中に学生運動にのめり込み、いわく「就職できず」、東京大大学院へ。「三島由紀夫の世界」や「石川淳論」を出版し、文芸評論家として活躍を始める。同時に、江戸時代の文学や思想の研究を進めていった。

たばこ片手にビールを飲みながら授業

 1968年、神戸大に職を得て2002年まで勤めた。私が学生だったのは1980年代後半。授業は、たばこを片手に缶ビールを飲みながら。無頼というか、当時でも少なかったと思う。学生には「迷惑というのは人にかけるためにあるんだ」と豪語。学生食堂(ワイルドターキーをキープしていた)や三宮で飲み過ぎた先生を自宅まで送り届けたことがある大学院生は少なくない。先生自身が一番迷惑をかけていた。

 当時、授業で取り上げたのは…

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