第8回前身の大会から数えて100年の節目 国スポの歴史からみた改革論

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聞き手 編集委員・中小路徹
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 見直しの議論が本格化している国民スポーツ大会(国スポ、旧・国民体育大会=国体)。その原型といえるのが、1924(大正13)年に開かれた明治神宮競技大会だ。第1回の開催から今年は100年の節目にあたる。歴史的経緯を踏まえ、これからの国スポはどうあるべきか。「帝国日本とスポーツ」の著書がある早稲田大の高嶋航教授(スポーツ史・東洋史)に聞いた。

 ――明治神宮大会は、どのような目的で始まったのでしょうか。

 「表向きは、明治天皇を記念することと、国民の身体鍛錬、精神作興(さっこう)が目的でした。政府がスポーツへの関与を強めた時期でもあります。それまで学校の中だけで行われてきたスポーツが外へ広がり、社会的関心を呼ぶようになっていたからです。明治神宮大会は内務省が創設しました。文部省は全国体育デーを設け、この年のパリ五輪に出場する代表選手たちに初めて補助金を出しました。第1次世界大戦後に欧州で専制君主制の国家が次々と崩壊し、君主制の世界的危機といわれる状況になっていました。当時の皇室がスポーツを通じて国民に接近を図ろうとした、という一面も考えられます」

 ――初期は、どんな選手が出ていたのでしょうか。

 「第1回には3千人近い選手…

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この記事を書いた人
中小路徹
編集委員|スポーツと社会
専門・関心分野
スポーツと社会、サッカー、朝鮮半島