「最後の1人まで捜す」 プーケット襲った津波 1等書記官は誓った

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編集委員・石橋英昭
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 20年前の2004年12月26日、スマトラ沖大地震・インド洋津波が発生し、22万人以上もの犠牲者を出した。警察官僚の原幸太郎さん(57)=前宮城県警本部長=は当時、駐タイ日本大使館の1等書記官として日本人の行方不明者捜索に奔走。東日本大震災をはるかに上回る巨大災害の現場で、大量の死にどう向き合ったのか。メディアに初めて語った。

 タイ南部のリゾート地プーケットを、世界中の人がクリスマス休暇で訪れていた。バンコクの大使館には、家族や知人の安否を尋ねる国際電話が殺到。何人の邦人が巻き込まれたのか、見当もつかなかった。

 翌朝に現地入りした原さんは、凄惨(せいさん)な光景を目の当たりにし、腹をくくる。

 「最後の一人まで俺が見つける」

タイ当局は混乱 懸念した「遺体取り違え」

 海沿いのバンガローが軒並み…

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この記事を書いた人
石橋英昭
編集委員|仙台駐在
専門・関心分野
東日本大震災、在日外国人、戦争の記憶