埼玉にも伝統の「黒豚」 生産減少を止めるため、高校生が奮闘
宮島昌英
新1万円札の顔・渋沢栄一の出身地として注目された深谷市。「近代日本経済の父」とも呼ばれる渋沢ほどの知名度はないが、養豚業の発展に貢献した偉人も輩出している。
その名は、笠原五郎吉。旧花園村(現・深谷市)が1978年に発行した「花園村史」や深谷市などによると、五郎吉は1885年に旧花園村に生まれ、農業に従事していた。
当時の黒田村では主に麦やサツマイモを栽培していたが、肥料が手に入りにくく、食料は不足していたという。五郎吉は肥料の自給が必要だと考え、養豚で出るふんによる堆肥(たいひ)づくりを計画した。
1914年、英国から輸入された黒豚(バークシャー種)を購入。農業に養豚を採り入れた「有畜農業」を始めると土壌が改善し、農産物の収穫量が増えていった。有畜農業をする農家は50軒ほどにまで増えていったという。
順調に思えた養豚だったが、昭和に入り、存続の危機を迎える。理由は太平洋戦争だった。
五郎吉の孫で、小学校入学前…
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