(社会季評)靖国で考えた、私たちは一緒に居たいのか ヒリヒリの奥に、種火はあるか 東畑開人

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 去った夏、8月15日に靖国神社へ行った。直前になって、少しだけ勉強した。近代日本は内戦に始まり、アジアで多くの戦争被害を出した先の大戦に至るまで、たくさんの戦争をしてきたから、国内にも国外にも無数の死者がいて、さまざまな立場での「傷つき」の記憶がある。だから、靖国については深刻に対立する思想があっ…

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