森を利用していたころの 森の様子はどうだったのでしょうそのころ 例えば
徳林寺の北(現在学童保育所がある付近)には
およそ0.2ヘクタールほどの松林がありました。 また 野並集落の高台の部分(相生28番地の西方)にも
高木のマツが まばらに生えていました。
その他の場所 特に人家の近くに 多少あったかもしれません。
しかし それらのマツは 伐採せずに残っていた感じのものです。
それらは疎林で 現在の相生山緑地全体から見れば
ごく一部分でしかありません。
昭和30年/1955年の航空写真
畑地は 白い四角形に見えています。
黒いところは ヒサカキなどの常緑が混じる低木群落。
大部分を占めるグレーの部分は 「はげ山」に近い状態 でした。下中央が徳林寺 敷地内に大きな水滴形が写っていますが
その北西側の
黒い部分が前述の松林です。
当時 相生山の一部分に存在した松林は
美保の松原のような立派なものではありません。
自然に残っているというよりは 人為的に残されている感じさえしました。
残す何らかの理由が あったのかどうかは分かりません。
また
それらの松林は アカマツではなく
クロマツが ほとんどだった と記憶しています。(アイグロマツやアイアカマツも多少混じっていたかもしれません)
ですから
人が森を利用していた場所には 松林はなく
残されていたと思われる松林 それらを含めても
看板に書かれているような
アカマツ林はなかったのです。では 当時の人々は 相生山の森をどう利用していたのでしょう。
それから森は どのような変遷を 見せてきたのでしょう。
by てんてこマイマイ
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