第1回高松塚古墳壁画発見50年、日本美術を研究・彬子さまに聞く

有料記事とこしえの飛鳥美人 ~高松塚古墳壁画発見50年~

聞き手・清水謙司 岡田匠

 高松塚古墳奈良県明日香村)の色鮮やかな群像壁画(国宝)の発見は、考古学だけでなく一般社会に大きな衝撃を与えました。古代史ブームを巻き起こし、西壁に描かれた「飛鳥美人」は歴史の教科書に登場しました。1972年3月21日の「世紀の発見」からまもなく50年。日本美術の研究者である彬子さま(40)が、高松塚古墳を通して美の原点と文化を見つめます。

彬子さま 略歴

1981年生まれ。故寛仁さまの長女。学習院大学を卒業後、英・オックスフォード大学マートン・コレッジに留学し、日本美術を研究。2010年に女性皇族では初めてとなる博士号を取得した。子どもたちに日本文化を伝える団体「心游舎(しんゆうしゃ)」を創設し、日英協会名誉総裁、京都産業大学日本文化研究所特別教授なども務める。

 ――壁画からどんな美をお感じになられましたか。

 こんなに美しい装飾が施された石室にはどんな方が埋葬されたのだろうということです。「死後の世界がよりよいものでありますように」という願いを込めた埋葬した人の思いも汲(く)み取ることができ、双方の関係性が気になります。

 もちろん美術史的歴史的価値も重要ですが、私たちが大切な人を見送るときを想像して見ると、この壁画がまったく違ったものに見えてきます。葬られた人と葬った人の思いが交差して具現化したのが、この壁画なのだと思うのです。

 日本の美術史を振り返ると、明治時代以前、作品は、依頼する側と作家とのやりとりや関係性が重要視されていました。不特定多数の相手に向けて作品を作ることはほとんどありませんでした。現代のように自己表現の手段として作品を作り、「鑑賞者が理解できないなら仕方がない」という感覚は、当時はなかったのではないかと思います。

 今では彫刻作品のように鑑賞される仏像も、本来は信仰の対象として作られたものです。大英博物館で勤めていた時は、ガラスケースの中で仏像を鑑賞することを当たり前のこととして受け止めてきました。日本に戻り、信仰の対象である仏像と対峙(たいじ)すると、人々の思いが込められていることを忘れてはならないということに気づきます。

 新型コロナウイルスによって、当たり前のように会うことができた人と会えなくなる、会えないまま大事な人が亡くなってしまうこともあり得る時代に私たちは生きています。だからこそ他者の存在を尊重し、人と人との関係性を大切にしたいと切に感じています。

 そのようなことを意識しながら壁画を見ると、ここまで美しい装飾はよほどの思いがないとできないのではないかと思い至ります。壁画には葬られる、葬るという双方の感情の符合が感じられます。壁画の美しさはその関係性から生まれているのかもしれないと思います。

大陸文化の影響も

 ――壁画には古代の日本がどのように映っていますでしょうか。

 描かれている衣装には興味深いものが多々あります。スカートのようなもの(裳(も))など、古代日本の衣装は、形状も色も中国や朝鮮半島のものに近しいものがあり、古代中国の「陰陽五行説(いんようごぎょうせつ)」の影響もあってか、カラフルな五色が尊ばれてきたことがわかります。現代の日本では、中国や韓国と違って、着物などでも落ち着いた色を好む傾向があるので、赤、黄、緑など原色に近い当時の色合いは非常に新鮮です。

 奈良時代くらいまでは、衣装も大陸文化の影響が見てとれます。それが平安時代になるといわゆる「国風文化」が花開いて「襲(かさね)の色目」、つまり原色そのものではなくて紅と白、蘇芳(すおう)と萌黄(もえぎ)などを重ねて優美な色を楽しむ文化が生まれます。壁画の衣装はそれとはまったく違うものです。

 私が初めて「飛鳥美人」を見たのは教科書でした。昔の女性というと学習漫画などで見る紫式部のような髪の長い「平安美人」の印象が強かったので、「飛鳥美人はこんな髪形なのか」と驚いた記憶があります。装束も「洋服みたいで、着物っぽくない」と。

 確か中高時代だと思いますが、当時読んでいた漫画に、古代中国の四神や二十八宿(にじゅうはっしゅく)の星座をモチーフにした人物が登場するので、壁画に描かれているものと同じだと興味を持ったことを覚えています。高等科の修学旅行で飛鳥に行き、寺院や古墳を見たり、「蘇」(古代の乳製品)を食したりしたことも、飛鳥時代に思いを馳(は)せるよいきっかけとなりました。

 壁画に描かれた絵や寺院の造り、食文化なども含めて奈良には大陸のおおらかな空気感が残っていることを感じます。当時の大陸には広大な都があって、壮麗な王宮があったのでしょう。日本の文化は古来、海外の文化との「融合と離脱」を繰り返しながら形成されてきましたが、壁画も大陸文化の影響が強く感じられます。描いたのは渡来人か、渡来人に教えを受けた人でしょうか。大陸で見てきた壮麗な王宮文化を日本で再現しようと思ったのではないか、などと思いを巡らせています。

■国と国を結ぶ役割…

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この記事を書いた人
清水謙司
京都総局|歴史、社寺文化財
専門・関心分野
歴史、社寺文化財、文芸、民俗、食文化、人権問題
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