⑨瀬尾まなほさんに聞く
瀬戸内寂聴さんは昨年9月に気管支肺炎で入院したあと、いったん退院し、10月に再び入院した。脳梗塞(こうそく)を起こし、意識がもうろうとしていたという。「寂庵(じゃくあん)に帰りたい」と願った寂聴さん。秘書の瀬尾まなほさん(34)は、いつ寂庵に連れて帰ればいいのか、その判断の難しさに悩み続けた。
連載「寂聴 残された日々」はこちらから
寂聴さんが亡くなる直前まで朝日新聞に連載していたエッセー「寂聴 残された日々」。単行本に未収録の分も読めます。
――入院中に脳梗塞を起こし、意識がもうろうとしていた寂聴さんは、その後、どんな様子でしたか?
先生の娘さん、寂庵のスタッフ、お医者さん、看護師さん、ケアマネジャーの方、みんなで何度も何度も話し合いました。「寂庵に帰りたい」という先生の希望を何としてもかなえたい。でも、寂庵に連れて帰ることは、すべての治療をやめて、みとりに入ることで、あきらめになる。
寂庵に帰ってきた瞬間に亡くなってしまうかもしれない。そうでなくても、寂庵では息を引き取るのを見守るだけです。でも、先生には意識があって、私たちが言っていることがわかるのに、みとりに入ることが納得できなかったんです。医学で証明できないことってありますよね? 先生は普通の人じゃないから絶対に奇跡が起こる。あきらめたくなかった。
――病室の寂聴さんに変化はみられましたか?
検査結果の数値がいいときもあったんです。「もうちょっとがんばれる」「意識が戻るかもしれない」とみんなですごく喜びました。逆に数値が悪くなると「もうだめか」と思ったり。一喜一憂でした。寂庵には専用のベッドを手配して、24時間態勢でみてくれる看護師さんもお願いしました。
お医者さんもあきらめたくないけれど、先生の希望をかなえてあげたいという気持ちが強かったんです。それには、いつ寂庵に連れて帰るか早く決めないと、その希望がかなえられなくなってしまう。「早めに決断を」と言われました。
――最期を迎えるのは病院か自宅か。現代の日本が抱える難しい問題です。
記事の後半では、寂聴さんを連れて帰ると決断するまでのやりとりを振り返ります。
先生の娘さんと相談しました…
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