ゴルバチョフ氏の歴史的な訪日 共同声明、それでも残った領土問題

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駒木明義
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 ゴルバチョフ氏は1991年4月、ソ連大統領として日本を訪問した。ゴルバチョフ氏と海部俊樹首相(当時)が署名した日ソ共同声明には、領土問題の対象として、北方四島の名前が初めて列挙された。しかし12月にはソ連が崩壊。平和条約問題は新生ロシアに引き継がれた。

 ゴルバチョフ氏は、帝政ロシア、ソ連の歴史を通じ、国家元首として史上初めて日本を訪問した。しかし、このとき政権を担ってからすでに6年が過ぎ、ペレストロイカ路線は国内の改革派、保守派双方から批判を浴び、行き詰まっていた。ゴルバチョフ氏と二人三脚で冷戦を終結に導いた「新思考外交」を担ったシェワルナゼ外相は前年12月に辞任。ゴルバチョフ氏の政権基盤がすっかり弱体化していたことが歴史的な訪日に影を落とした。

 ゴルバチョフ氏はこのとき…

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この記事を書いた人
駒木明義
論説委員|国際社説担当
専門・関心分野
ロシア、国際関係、外交
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    駒木明義
    (朝日新聞論説委員=ロシア、国際関係)
    2022年8月31日22時47分 投稿
    【視点】

    1991年のゴルバチョフ訪日時、日本は1956年の日ソ共同宣言の2島引き渡し条項の確認を最優先の目標としていました(結果的には失敗)。 ところが1993年、エリツィン大統領と細川護煕首相が「四島の帰属の問題を解決して平和条約を締結する」こ

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