第2回五代目小さんの教えは「盗め盗め」 柳家さん喬、師匠との不思議な縁
《子どもの頃から舞台慣れしていた》
小学校の時は、学芸会のお芝居に自分から手を挙げて出るくらい好きでした。3回主役をやらせてもらったんです。最初は2年生の「くるみ割り人形」。馬の役で、おやじが帽子みたいなかぶり物を作ってくれた。セリフは「待てって? どうしてさ」だけでした。
落語家・柳家さん喬さんに半生を聞く連載「ああいい噺聞いたね」。全4回の2回目です。
高校で生物部に籍を置いたんですが、同級生が小噺(こばなし)研究会をつくって、「部員が足りないから手を貸してくれよ」っていうから掛け持ちしたんです。どういうわけか「野ざらし」だけは覚えてたんで、文化祭に引っ張り出されて。
確かに、人前でやることは照れくさくて、度胸が要ったんです。でも自分自身じゃなくなってる部分が楽しかった。安部公房の『他人の顔』じゃないですけど、自分の持ってる二面性を、一つの形で表現する方法なんだ、っていう。
やなぎや・さんきょう 1948年生まれ。落語のほか、日本舞踊藤間流の名取で芸名は藤間一寿生(かずお)。
漫才や歌謡曲を教える堀越芸能学校が池袋にできて、落語の教室に週1回ぐらい通ってたかな。そこで漫才をやっていたのがおぼん・こぼんさんです。
教えに来てくれてたのが、先日亡くなった三遊亭円窓師匠。「君どうするんだい? 噺家になりたいんだったらこんなとこいてもしょうがないよ」って言われて。高校3年の時でした。
学校の先生になりたかったん…