第2回夜ニュースは男性アナの牙城 山根基世、当時は気付けなかった差別
大学を出たら、とにかく経済的に自立できる仕事に就きたかった。自分で稼いだお金で買った服を着たいという思いが強かったんです。自分の着せたい服を娘に着せたがる、母への反抗心でした。
《3年生の秋、NHKの採用試験に合格。アナウンサーとして採用された》
ただ長く働ける場所を、とだけ考えていました。アナウンサーになりたいという思いは特になかったんです。英語の教職免許を取っていたから、落ちたらどこかの先生になればいいかと。
読む経験といったら、小学校のときに校内放送を読んだことがあったくらい。早稲田大学には放送クラブがあったらしいけど、存在すら知らなかった。今で言うアナウンサー塾みたいなものも、当時あったのかどうか分かりません。発声練習は独学でした。
アナウンサーの山根基世さんが半生を振り返る連載「放送人であるために、探した言葉」の全4回の2回目です。
当時、入局前に癖がついている人はかえって嫌がられていて。変な癖がない人を、採用してから育てるような風土がありました。でも、私を採るかどうかは悩んだそうです。20年くらい後だったか、試験官の一人だった大先輩の西沢祥平アナウンサーに「すれすれだったぞ」なんて言われました。
筆記試験は作文が難しいと言…