第3回ヒット連発から借金23億円 加山雄三、夫婦で卵かけご飯分けた苦難
《代表曲「君といつまでも」(1965年)はジャズのスタンダードを下敷きにした》
「オン・ザ・サニー・サイド・オブ・ザ・ストリート」っていう曲がモデルになったんだ。
「Grab your coat and get your hat♪」「ふたりを 夕やみが~♪」。ね? そっくりだろう?
コード進行は、先にヒットした「恋は紅(あか)いバラ」そのままなんだ。あの曲は「恋は紅いバラ」に合わせて一緒に歌えるよ。(渡辺プロダクション創業者の)渡辺晋さんが「恋は紅いバラ」を気に入って「同じコード進行でもっといい曲を作ってよ」って。そんな簡単に言われても困るよな。
歌手で俳優の加山雄三さんが半生を振り返る連載「波も嵐も越えられるさ 人生航海日誌」。全4回の3回目です。
森岡賢一郎さんのアレンジがものすごくかっこよかった。こんなに良い曲だったかなと思うくらい。それで、間奏の「幸せだなァ」というせりふは、レコーディングのとき自然と出てきたんだ。
当時は(他の曲を)まねしちゃいけないなんて全然知らなかったな。だけど、音楽っていうのは誰かをみんなまねしていて、それでつながっているんだよな。残っていくような良い曲は、何か別の曲に似てることが多い。
《「弾厚作」名義で多くの曲を作った。歌い手による作曲は50~60年代の日本では珍しかった》
誰が作ったっていいし、特別な意識はなかった。作ろうと思って作った感じでもなかったし、ギターを弾いて「ラララララ」って適当に歌って、それが片っ端から歌になった。作るときは、全部自然なんだよ。自然なコード進行はもう体の中に入っている。だから自分が気持ちいいかどうかは大事。
そういう感覚的なものは、やっぱりクラシックからかな。音楽で大事なものが全部入ってるんだよな。だからおれはクラシックを聴いていてよかったな、と思うんだ。
詞を見てメロディー変えた「海 その愛」
映画撮影の合間によく曲を作っていたな。曲が出てこなくて困った、みたいなことはなかった。自分が作ってうまくいったな、と思うのはいくつもあるけど、「君といつまでも」「夕陽(ゆうひ)は赤く」は良くできたと思う。あと、「海 その愛」「旅人よ」かな。
「海 その愛」の出だしはあ…
- 【視点】
「人生、苦しいことが99%、幸せは1%ぐらいだと。それぐらいに思っておくのが大切だと思う。つらいときがない人間はいない。誰しも苦しい時期はある。人生ってそういうもんだ」ー記事中に、加山雄三さんのことばとして紹介されています。 父親が日
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