かつて踏切に閉じ込められた街は変わったか パラ金メダリストと歩く
共生社会の実現を掲げた東京パラリンピックの開催から2年が経った。パラスポーツに注目が集まり、変化が見られた部分もある一方で、残された課題もある。パリ・パラまで1年となった今、選手らはどう感じているのか。
新宿駅から京王線で約10分。東京都世田谷区の下高井戸駅は日大文理学部キャンパスの最寄り駅で、周辺には飲食店やドラッグストアなどが並び、学生や家族連れでにぎわっている。
東京パラリンピック競泳男子100メートルバタフライの金メダリスト、木村敬一選手(32)は学生時代から約9年間をこの街で暮らした。
当時は初めての一人暮らし。引っ越して数日間は、それまで通っていた盲学校の先生が街を案内し、点字で地図を書いてくれた。それを頭に入れ、日々の生活を送ったという。
木村選手と街を歩いた。駅近くの喫茶店で待ち合わせ、大学までの約700メートルを往復した。
道のりのほとんどが1車線。両端に路側帯があり、点字ブロックはない。視覚障害者は白杖(はくじょう)や記憶、周囲の音を頼りに歩くしかない。
「昔ながらの街は歩くのが難しいんですよね」。全盲の木村選手にとって、緩やかなカーブは特に難所だ。碁盤の目のように区画整理される道は曲がるタイミングがわかりやすいが、緩やかなカーブだと方向感覚をつかみにくいという。
木村選手は歩きながら、身の危険を感じた経験を語った。
「大学1年生の時に踏切の中に取り残されたことがあって。あれは怖かった」
駅に隣接する踏切だった。「…