日本のジャーナリズムは、彼女たちのような仕事ができているだろうか

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ジャーナリスト・小山美砂=寄稿
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ジャーナリスト・小山美砂さん寄稿

 ジャーナリズムの力が急速に衰えゆくこの国に、いま必要な映画だと思った。

 インド北部、被差別カースト「ダリト」の女性たちが立ち上げた新聞社を追ったドキュメンタリー映画「燃えあがる女性記者たち」だ。この映画を観(み)ながら、ある全国紙記者に言われたことばを思い出していた。

 「小山さんの記事は熱いけど、中立公平じゃないからダメだよね」

 私は6年勤めた毎日新聞で広島支局に長く在籍し、原爆被害者の取材に取り組んできた。特に、米軍による原爆投下後に降った「黒い雨」を浴びた被害者の証言を伝え、国の被爆者援護施策の矛盾や問題点を追及してきた。現在は広島市を拠点に、フリーのジャーナリストとして取材を続けている。

 先に紹介した全国紙記者のことばは、被害者側に立って国を批判し援護の必要性を訴える私の記事に、疑問を呈するものだった。もちろん私も、国の言い分は伝えている。ただ、もう少し国の考えに配慮してバランスを取った報じ方をした方が「読者に伝わる」、ということだったようだ。

「中立公平」とは何か

 でも、私の頭には次々に疑問が浮かんできた。不合理な政策の下で苦しめられている人がいるなら、その立場で報じるべきではないのか? 市民と国家ではパワーバランスに偏りがある。指摘されたような「中立」を保てば、権力の監視はおろかそれを支えることにならないか。そもそも「中立公平」とは何なのか、実現可能なのか。

 基地問題を巡って政権を鋭く批判する沖縄の新聞が「偏向報道」と批判され、「メディアは中立公平であるべきだ」と声高に叫ばれる。「マスゴミ」との蔑称を目にしない日はなく、マスコミ不要論までささやかれる。

 私が考える報道機関やジャーナリストの大切な役割は、権力の監視と埋もれた問題の掘り起こしだ。当局が隠そうとする情報や、記者が現場で見聞きしなければわからない問題を届け、世に提起することが大切だと考えてきた。そのためには調査報道が必要だろう。しかし、実際には当局の発表内容を無批判にそのまま伝える記事が多く、独自の視点で掘り下げた調査報道はごく少ない。メディアの多様化に伴って仕事は増えるのに人員は削られ、当局が明日発表する内容を今日報じることに何よりも力点が置かれる。現場よりも記者クラブに長くいるせいで批判精神は失われ、「中立公平」ということばも社会を見つめる視点を曇らせているように思えてならない。

 ジャーナリズムの存在意義が忘れられつつある。自戒の念も込めて、そう思うのだ。

 だからこそ、この映画にはハッとさせられた。

 舞台はインド北部のウッタル…

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