「ママ、苦しい」 夫に続き36歳で認知症、なっちゃんが遺した日記
なっちゃんがいなくなって4カ月。四十九日の法要も終わって生活に落ち着きが戻り、丸山明美さん(69)は「かえってダメになった」と思う。寂しさを感じる時間が増え、毎日のように夢を見る。子どもだった頃のなっちゃんが出てきて、「不良になってやる」と困らせる。目が覚め、自然と涙がこぼれてくる。
長女のなっちゃんは幼い頃から読書や音楽を聴くのが好きだった。中学校では吹奏楽部に入り、フルートを担当した。学生時代に知り合った男性と2000年に結婚。長野・軽井沢で挙式し、埼玉県で幸せいっぱいの新婚生活を始めた。
最初はちょっとした違和感だったようだ。引っ越しのとき手続きに手間取り、「なんか変だな」と感じたらしい。
「反応が遅いって言われた」「こんなの私じゃない」。毎日のように電話をよこして不安を訴えるようになった。08年、出張が多い夫と離れ、新潟県上越市の実家でまた一緒に暮らし始めた。
09年11月。遺伝子検査の結果が出た。若年性アルツハイマー型認知症と医師から診断名を告げられた。まだ36歳だった。
「確定ですね」。なっちゃんはそう口にし、冷静な様子で受け止めていた。弱音を吐くこともなく、「ママはパパで精いっぱいだよね」と気遣ってくれた。
明美さんの夫の賢寿(けんじ)さんも03年にアルツハイマー型認知症がわかり、症状が悪化していた。夜中に「仕事に行く」と言って家を出ようとする、トイレを失敗する……。クリーニング工場で働きながら介護も担い、くたくたになっていた。なっちゃんを頼もしく思った。
コワレテも生きなきゃいけないの?
それからしばらくして、クローゼットの中でなっちゃんの日記を偶然見つけた。08年の実家に戻ってきた後から始まっていた。
《5月27日(火)…
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- 【視点】
今の私の年齢は「なっちゃん」の認知症が進行していく頃に重なります。 もし自分だったらどんな思いになっただろうか、と想像します。 〈いっそコワレテしまいたい〉というなっちゃんの言葉からその壮絶な思いを想像しました。 そして、新潟
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