第5回「関ケ原」直前の家康がみせた奇妙な動き 敵の「暴発」を誘う計略?

有料記事どうなの?家広さん

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 「厭離穢土欣求浄土(おんりえどごんぐじょうど)」

 のどかな田園風景が広がる岐阜県関ケ原町。町役場や岐阜関ケ原古戦場記念館などが集まるエリアに、徳川家康の旗印がそびえていた。

 「ここが家康最後陣跡と呼ばれる場所で、合戦当日午前11時ごろ、家康は苦戦に苛立ち、本陣を2キロほど東の桃配山からまさに関ケ原の中央部、石田三成本陣の笹尾山のすぐ下へ移動させました。3万の軍勢がこのあたりにいたことになります」

 町歴史民俗学習館の川島行彦・学芸員が案内してくれた関ケ原は、1931年に国史跡に指定。総勢17万の兵を集めたともいわれる合戦の跡をいまに伝えている。

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 豊臣秀吉の死後、その遺言に従い、石田三成ら豊臣恩顧の五奉行と、徳川家康ら五大老による合議制での政治がスタートした。

 秀吉が厳しく制約をかけていた諸大名との婚姻を勝手に進めるなど、秀吉の死後、家康が「勝手な振る舞い」を重ねているとみた三成が、家康への不信感を募らせ、最終的には挙兵に至った――というのが、教科書で習う大まかな通説だった。

 NHK大河ドラマ「どうする家康」でも、松本潤さん演じる家康への恨みを募らせる三成の心情が、三成役をつとめた中村七之助さんの鬼気迫る演技で描かれた。

徳川家広さん出演ポッドキャスト配信中

今年1月に当主となった徳川家広さん。音声番組「朝日新聞ポッドキャスト」では、家広さんが語るシリーズを配信しています。

 ただ、徳川宗家の末裔(まつえい)として、独自に徳川家の歴史を研究してきた第19代当主・徳川家広さんの見方は、こうした解釈とは一線を画している。

 「反徳川連合が形を表すように(家康が)挙兵を促したのではないか」

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寛大だった家康、上杉は征伐「大坂を離れるリスク考えたら…」

 秀吉の死から関ケ原までの2年間を細かくみていくと、確かに不可思議な点も少なくない。

 家康はこの間、問題を起こし…

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