何かを失う時は何かを得る時 パラ陸上中西麻耶と2人のおじいちゃん

有料記事被爆国から

聞き手・黒田陸離
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 核兵器禁止条約の第2回締約国会議が、米ニューヨークの国連本部で開かれています。実の祖父が長崎で被爆し、そしてもう一人、広島で被爆した「おじいちゃん」がいるというパラ陸上アスリートの中西麻耶さん(38)に思いを聞きました。

     ◇

 母方の祖父が長崎で被爆しました。小学校の夏休みの課題で、祖父に戦争体験を聞こうとしたとき、母にすごい剣幕で止められました。高校1年で祖父が亡くなり、葬儀で突然、親族が祖父の手記を読み始めました。

 大村海軍病院(長崎県大村市)で新兵を指導していて、原爆が落とされてすぐ、救護のために長崎市内に入った。絶対に弟だと思うひどいやけどをした人がいたけど、確かめる勇気がなかった――。

 聞いていて涙が止まらず、怒られてでも話を聞いておくべきだったと後悔しました。

 私は21歳で仕事中の事故で右足を失い、2年後にはプロ宣言をして渡米しました。でも、米国での練習を「遊んでいる」と批判する人もいました。当時はアグレッシブな障害者は少なく、特に女性ではほぼいなかったから、かわいくなかったのでしょう。精神的にすごくつらかった。

「恨みからは何も始まらない」

 周囲からは「うっぷんを力に…

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この記事を書いた人
黒田陸離
ネットワーク報道本部|大阪駐在
専門・関心分野
地方取材、スポーツ、平和、人権
核といのちを考える

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被爆者はいま、核兵器と人類の関係は。インタビューやコラムで問い直します。[もっと見る]