第3回松岡正剛が借金で始めた伝説の雑誌「遊」 見立てが言葉を研ぎ澄ます
父が残した借金をなんとか返し終わって、自分なりに何かを始めなければという時期でした。次は雑誌だな、と思っていたら、仮面社という新しい出版社が稲垣足穂の本を作って持ってきた。それで「松岡さん、雑誌を作りませんか」と言うので、引き受けました。
でも、うまくいかない。誰も見たことのないメディアにするつもりで始めたはずが、そうなれない。一から考えようと思い、いったん断って、ビデオを見始めました。現代美術家ナムジュン・パイクの作品が頭のなかにあった。再生して止めて、また再生する。早送りや巻き戻しができる。そういうビデオ的な雑誌が作りたくて、「遊」を発想するんです。
《1971年、元上司に100万円を借金して出版社の「工作舎」を作り、創刊した》
「遊」の名前は遊牧民(ノマド)からきています。じっとして動く、動いてじっとする。読む人が遊牧的になるメディアを試したかった。学問も自由にしたい。国語、算数、理科、社会じゃなくて、それらをまたぐ対角線を発見したいと思っていました。そのためには、メタフォリカル(隠喩的)な連想や見立てがもっと入っていい。言語的で、かつ映像的な見立てが利くメディアを模索したかったんですね。後にこの方法を「編集工学」と呼びますが、編集的な見立ての可能性をふんだんに増やそうと思った。
航空会社と化粧品会社は両方とも「お出かけ」でしょうみたいな話をしましたが、そういう見立てが入ると、まったくちがうものが連動します。たとえば「神道」の特集に「化学」をぶつけるとか、見立てが利くか利かないか、ギリギリのところへ言葉を持っていく。
編集工学者・松岡正剛さんが半生を振り返る連載「『わかりやすさ』に抵抗がある」。全4回の第3回です。
ただし、これをビジュアルデ…